ゆりかごの唄

平日は、夫が他州に出張に行っていて息子と二人で朝、夜を迎える生活にも慣れてきた。

今日いつものように会社から帰ってきて、どたばたと夜ごはん、お風呂、本読みを終えて
寝かしつけのとき、なんとなく息子が生まれたすぐ後に、
日本から母が送ってくれた日本の童謡のCDを久しぶりに流した。

このCDはそのジャケットからして結構レトロ感が漂う、なんとなく全体的にもの哀しいかんじがする
古典的日本の童謡集で、「月の砂漠」や「てるてる坊主」、「七つの子」なんかが入っている。
しかも、インドネシアルピアでRP45,000とのジャカルタの某デパートの値札シールがついている。


自分も親になって2年が経ったし、つい最近また一つ年を重ねた。

親の辿ってきた軌跡や、そこでの苦労やお父さん、お母さんとしてではなくて
彼、彼女として思った気持ちや、我慢してきたことなんかが、ずっと分かるようになって
そんなことも知らず、よくも自分はここまで年を重ねてきたもんだと思う。


息子は日に日に大きくなり、お腹にいた頃から私がずっと話しかけていた日本語は
あまり話せず、デイケアで先生たちから話しかけてもらう英語での語彙力が
毎日少しずつ伸びている。
覚悟はしていたけれど、実際目の当たりにすると、結構寂しい。

それでも、産まれたときから歌ってあげている「ゆりかごの唄」を
毎晩聞きたがって、眠くなると「ねんね ねんね」と歌って欲しいとせがむ。

それで、このちょっと古くさいCDから流れてくるもの哀しいけれど
懐かしい女性の歌声と一緒に、ねんねこ ねんねこ ねんねこよ と歌ってあげていると
知らないうちに困るほど泣けてきて、眠りに落ちそうな息子を起こさないように泣いた。

まだ赤土の上をヤギが走り回り、雨上がりの巨大な水溜りの中を子どもたちが裸で遊んでいた
1980年代後半のインドネシアで私たちを育てた若かった両親のことや、
ジャカルタのデパートで、このCDを見つけて思わず手に取った母の気持ち、
2年前に生まれたときの小さな小さな新生児の息子の姿や
今日、デイケアから帰ってきて、抱っこしてと甘えてきた表情、
ぜんぶが子守唄に重なって、涙が止まらず、もう眠ってしまった息子の横顔を見つめて
小さい指を握りながら、しばらく泣いていた。

家の近くにある駅からは電車が、汽車のような汽笛を鳴らして走ってゆくのが聞こえて
日本や、幼かった自分を守ってくれた両親や、小さかった頃のやわらかい自分の記憶が
恐ろしく遠くに感じられて、守るものを前に、異国で、もっと強くならないといけないと思った。
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# by akikogood | 2010-10-06 10:04

再会の夏

この夏は、とにかく突然、四方八方から人が会いに来てくれる季節だった。

8月半ばに家族がまた日本からやって来てくれたことを筆頭に、
新卒で入った邦銀の上司が、転職した先のシンガポールから、
毎週何通もメールが行き来するくせに、3年も会えていなかった親友が東京から、
5週間前に産まれたばかりのベイビーを連れてDCから友達一家が、
すっかり大きくなったお嬢ちゃんを連れて、NYCから先輩ご夫妻が、
ジャカルタの中学校時代からの友達のお母さまがNYC観光に・・・

ざっと挙げてみただけで、遠くはシンガポール、近くはマンハッタンから
みんな一斉に、突然会いに来てくれたのだ。

こんなことって、あるんだな。

こうやって、久しぶりに再会ができるのは、きっと神様がこれまで頑張ったご褒美をくれているに違いない。

それぞれから、また思いもかけないような嬉しい励ましやお褒めの言葉をもらったりして
久しぶりに会った人にそんなこと言われると、余計嬉しくなる。
頑張った甲斐がちょっとはあったかなと思える。

会えなかった時間は、伸びた髪の毛や、上がった年齢に求められる社会からの期待や
子どもが出来て変わった立場なんかに反映されてはいるけど、
基本は変わらないよね、と認め合える。
結婚も知らず、仕事さえも知らず、ましてや親になってからのことなんて考えもしなかった頃の自分を
知っていてくれる人にここでの自分の立ち位置を見てもらうのは、ちょっと勇気が要る。
あの頃に比べて、自分はどう映るかな?どんな表情をしてるかな?どんな雰囲気なのかな?
でも、やっぱりあっこはあっこだよ、といとも簡単に過去と現在の橋をスッと渡って
今の私の隣に立ってくれる友達の存在は本当に尊い。

会いに来てくれてありがとう。

そして、次の再会をすぐに!
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# by akikogood | 2010-10-01 11:26 | 大切な人

アーミッシュ村へのマインドトラベル

大分前になるが、9月の1週目、レイバーデーの3連休にお隣のペンシルベニア州にある「アーミッシュ地区」こと、ランカスターカウンティまで足を伸ばした。足を伸ばすといっても、うちから車で2時間半足らずで着いてしまって、逆を言えば、世界中の富が集まるマンハッタンからだって3時間ちょいあれば、電気なし、PCなし、電話なし、馬車で暮らす人たちの土地に来られるという事実がアメリカという国の「広さ」を物語っているように思う。

着いてはみたものの、ホテルはランカスターのダウンタウンだったので、さてアーミッシュのコミュニティに行くといっても、どうやって行けるかと思いきやホテルのフロントデスクのお姉さんは「大丈夫ですよ」と朗らかに言う。「行ってみれば、すぐにわかるわ。」

その言葉の意味が分かるまでそう時間はかからなかった。アーミッシュの人々が観光客向けに商いをする小さな店が連なる国道は、土曜の午後とあってかギッシリの大渋滞。えっ、馬車と電気なしの質素で静かな田舎風景はどこに・・・と絶句するほど観光化されていてガッカリ。土産物屋に入ってみても、日本のちょっとダサい地方観光地みたいな雰囲気でアーミッシュでない普通の人たちが不味い料理を給仕して、デブデブな観光客が、またその不味い料理をガツガツ食べている様子を目の当たりにして食欲も失せた。

そんなわけで、観光客の車が大量に駐車されている場所を避けるように運転して、適当に脇道に入ってさらに運転してみると、なんと、一面に広がるトウモロコシ畑。
先ほどまでの喧騒が嘘のよう。対向車とすれ違えるかドキドキするくらいの細い道を、注意深く走っていると、あっ!前方に、馬車が!

そうして、初めて車道に走る馬車(バギー)を見たときは感動したが、ランカスターでの滞在時間が長くなるにしたがって、馬車を前に徐行運転しながらゆっくりそれを追い抜いたり、馬のくさい落し物がタイヤにどのくらい挟まってるだろうか、と気にし始めたりして、フロントガラスに馬車が映る光景には案外早く馴染んだ。

バギーには集落ごとに様々なタイプや色のものがあり、屋根のついたバギーを運転できるのは成人してからで、子どもたちだけの場合はただの箱のような馬車だとか、州法で馬車にもウィンカーを付けることが義務付けられているため、自家発電式のLED電子ウィンカーを付けていること(実際、信号待ちで前にバギーがいる場合、ウィンカーがついていないと非常に危険だと思った)などは、後から本を読んで知った。

観光化が最も進んでいる国道30号周辺を除くと、イチ観光客としてはランカスターへの旅はたった1泊だったとは思えないほどのマインドトリップになった。

ジャカルタも、NYも、東京も、ものすごい距離を移動している割には、そこで表面的に共有されている生活様式や価値観はだいたい同じで、特に大都市ではどの国に行っても同じ店があるし、もっとお金を稼いでもっと先進的な生活をしたいとみんな頑張ってるのも一緒だ。どの国でも、政府が自分たちの生活を充分に守ってくれないと怒っている人たちがいて、一方で、信じれないくらいの大金持ちがいたり。
アーミッシュは、そういう、私たちの生活を蜘蛛の巣状に取り巻いている当たり前のモノや価値観、政府のシステムからかなり独立して自分たちで出来る限り自給自足の生活を達成していて、その一方で、実際そんな自分たちのコミュニティの外には良くも悪くもたくさんのアクセスがあることもよく熟知した上で、うまく取り入れているように見えた。

LEDのウィンカーにしてもそうだし、実際彼らは自分たちで運転はしないものの、運転できる人を雇うことは認められており、長距離を移動する際やビジネス上ではトラック運送業者をよく雇う。電話は家の中にはないが、屋外についている家がほとんどだし、カメラは自己崇拝に通ずるので禁じられているものの、発電式の「コンピューター」(ワードやエクセルなど基本的なソフトウェアの使用のみが可能で、インターネットへのアクセスはできない)の使用はビジネス上かなり許容されているらしい。そうやって、自分たちなりに信仰を妨げない技術についてはフレキシブルに取り入れながら、一本線を貫いて暮らしている姿に少し羨望というか、そんな不思議な気持ちを抱いた。

だって、家族が平和に安心して暮らせて、子どもたちを犯罪のない、少人数制の環境の整った学校に通わせる。
たったこれだけのことを実現するために、どれだけの人が、どれだけ一生懸命、でっかいシステムのひとコマになってようが何だろうが、働いていることか。
それを、当たり前のことのように、いや、そんな一部にはなりませんから、と自分たちだけで達成している彼らを、うらやましいと思った。
いいなぁ、来月から、キミの部署はインドにアウトソーシングすることになったから、とピンクスリップを渡されることもなければ、次々とアップデートされるソフトウェアに一生懸命慣れて自分も常にアップデートさせていかないといけないプレッシャーもない。どうやったらこれからのグローバル化されてく競争市場で生き延びていけるか戦々恐々としなくていい。子どもの年齢が上がってきたら、学校地区も考えて、郵便番号5桁をグーグルして他の地域へのお引越とかも考えなくていい。
ラティーノコミュニティや、貧困地区には銀行営業マンがやってきて、15%の利子でモルゲージを組む契約を次々作ったらサブプライムでみんな家を失っちゃったけど、アーミッシュの人々は2007年も、リーマン危機も大して意味はなかっただろう。実際、私たちがとっくの昔に失ってしまったコミュニティ間での相互扶助というお金では買えないセーフティネットや財産がたくさんあるのだ、彼らには。

もちろん、たくさんの課題やコミュニティ内外での葛藤は常にあるに違いない。
な~んも知らずにちょろっと考えただけでも、馬車と自動車の交通事故が多いことは容易に想像がつく。
聖書の教えに従った独自の規則から、アーミッシュの人々は社会保障も受け取らないし、一般的な健康保険にも加入しない。医療費がバカ高いアメリカなので、病気や怪我をした場合や交通事故があった場合、どんな備えをしているのか気になる。信仰への疑問がうまれないよう、子どもへの教育は小学校3年生程度までで充分というアーミッシュの考えは、実は国際社会から見れば子供の人権侵害で、実際アメリカ合衆国からは訴訟をされている。アメリカに残った最後の平安の場所と言われたアーミッシュ村にも、2006年にはコミュニティ外からやってきた男が学校に立てこもり子どもたちを殺害した。

けれども、もっと限界集落みたいなところで、偏屈そうなかんじで、井戸の中の蛙状態で暮らしているのかと思って、ちょっと物見見物、というノリで遊びに行って見たら、意外や意外、私たちよりも精神的にも物質的にもずっと豊かに暮らしているような穏やかで優しい彼らの横顔を見て、イメージがすっかりひっくり返ってしまった。
カッコいいな、彼ら。

金色に輝く畑のトウモロコシは、実がこぼれそうにたわわになっていて、今年は豊作だったことを窺わせた。




~参考~

興味湧いたからアマゾンで買った本 Amish Grace: How Forgiveness Transcended Tragedy
日本語訳も。
アーミッシュの赦し―なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか

このエントリ書いてる間に偶然出てきたブログ Amish arbitrage 彼ら土地運用もうまいらしい・・・やるな・・・読者のコメントや素朴な質問がなかなか面白い 
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# by akikogood | 2010-09-30 11:51 | アメリカ、エスニシティー

Tomorrow shines through, but I’m missing yesterday

ずっと忘れていた曲をふとしたことで思い出してyoutubeから引っ張りだして聞いたら、その曲を聴いてたころの情景や、その頃自分が大事にしていたもっとナイーブで繊細なことをたくさん思い出した。

結婚して、子どもが産まれて、仕事して、毎日現実と向き合ってるけど、たまにこうやって思い出す自分勝手に生きてた頃に大事にしてたものも、今振り返ってもやっぱりすごい良いものたちだな。

人生は変わっていくものだけど、途切れ途切れじゃなくて、エクスパンド、拡張してくものなんだな、当たり前だけど。自分の場合、結婚して、アメリカに来たから分断されてたものがたくさんあるけど、今こうやってちょっとずつ戻ってきて、もう一度自分の一部になると、バラバラだったパズルがぴったり合うような、過去と今と未来がつながって自分が完成してゆくような不思議な感覚。多分、こういう風に最近思えるようになってきたのは、ようやく自分のここでの生活も確立してきて、過去とも向き合いながら、ここでの未来を落ち着いて見据えられるようになってきたからなのかも。

奇遇にも、その久しぶりに聞いた曲の名前はYesterday Went Too Soon
思い出させてくれたのは大学時代からの友達のつぶやきでした。
サンクス。
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# by akikogood | 2010-09-18 20:17 | 花鳥風月

夏のおらが村は最高だべ

重たいエントリが続いたので、ちょっとインターバル。

最近ハマっているのが、通勤の道沿いにあるFarm Standで夏野菜を買うこと。
これまたリアルに鹿がお亡くなりになってるようなFarm road沿いにあって
(例の虐待事件で超センシティブになってたらしく、ある朝鹿が親子で轢かれてるの見て、通勤途中本泣きしてしまいました・・・途中でそれってわが身も危険に曝していることに気付き、自制心を取り戻したものの・・・だって・・・だって・・・かわいそう・・・)
いつもは50マイルで突っ走ってるもんだから、ずっと止まれなかったんだけど、勇気を出して寄ってみた。

いやぁ、素晴らしい収穫っぷり。

トマト
激ウマやないかい!!!!
なにこのしっかりした味!!この甘み!
ニュージャージーの土地には砂が混じっていて、それがトマトには良いんだとか。
ジャージートマトって有名らしい。
黄色いトマトも初めて買ったけど、赤いのより甘かった。
息子は日々トマトばかり食べ、うんちにはしっかり種が・・・小動物のフン状態になってる。

スクオッシュ
切ったところからじゅわじゅわ~とお水がたくさん湧いてきて
顔パックに最適そうなくらいみずみずしいし、切ってしばらくそのままにしてたら
切った側面どうしがくっついてた。細胞が若いのねぇ・・・いいな・・・(って野菜に嫉妬してどうする)

バジル
2ドルだったから買ったけど、こんな食べられませんってくらい大束できた。
俵まちがサラダ記念日で詠んだ句は「自転車のかごからわんとはみ出してなにかうれしいセロリの葉っぱ」だったけど、このバジルは「どっかんと」ってかんじ。
車の後部席に置いたら、ちょっとの間だけで車の中がバジルの香りでいっぱいに。
家に帰ってきてからは、花瓶にお水を入れて、飼育中。
ドア開けると家の中にもバジルの香りがする。
おすそ分けしても余るほどあったので、細かく刻んでパスタに。タイ料理に。
綺麗な葉っぱは、もちろん、モッツァレラチーズとトマトに挟んでカルパッチョに。

コーン
言うまでも無く、最強に甘い。
息子はあっちゅーまに「コーン」の単語を覚え、毎日コーンを食べるから、
ウンチから(以下省略)


ま、でもオーガニックとか何にも書いてないから、フツーに化学肥料つかって
こんなにジャイアントになっちゃったお野菜たちなんだろうけど。
それでも美味しいなぁ。
こういうの食べちゃうと、スーパーで買うお野菜はみんな死んでるって思うよね。

足しげく通って、おじさんとお顔見知りになればきっとバーゲン価格で買えるようになるわい。しめしめ。

写真はそこで買ったお花たち。3ドルって安!
茎も花びらもものすごーくしっかりしてて、強いかんじ。
可憐な花もいいけれど、夏にはこういうしっかりした花が似合うよね。

キレーに活けて写真撮った3秒後に誰かさんにお水ごとひっくり返されたのは割愛・・・ネコか!





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# by akikogood | 2010-08-07 13:52 | ニュージャージー

インディペンデント・ウーマン・・・じゃなかった

少し前に、「新旧インディペンデント・ウーマン論」というエントリで、1920年代からタイムズスクエアには売春で商売をする「インディペンデント・ウーマン先駆け」がおったということを題材に、今の日本ではそんなタイムズスクエア的状況が起きていて、何故か夜のお仕事が女子たちのあこがれの職業NO1だと書いた。
そのときの問いかけは、それはプロフェッショナルな分野で女性が進出しにくいからなのか、あるいはそれが21世紀型サービス業「自分オリジナルブランド」を確立する最短の道だからなのか、という二つだったが、今回の事件でふと思った。
そんな小難しいことじゃなく、単純に、「貧困が若い女性の間に広まってきている」からじゃないのか。
簡単に、何の職業背景もなく、若さと美貌を売りにお金が得られるのが、夜の仕事だからじゃないのか。
特に、子ども抱えて生きていかないといけなかったら、倫理も何もない、お金が必要だ。

一昔前なら、世間体や家族の保守性が守ってくれたのかもしれないけれど、今じゃ誰も気に留めない。
一度踏み込んだら、やはりお金はいいだろうから、そう簡単にその辺のアルバイトじゃ満足できる額を稼げない。そうしてどんどん転がり落ちる。

そして、恐ろしいことに、この貧困層に転がり落ちる可能性を秘めているのは、学歴やキャリアがない若い女の子たちだけではない、という点だ。
ちきりんさんのブログに重複するが、条件は三つだけ。

① 子どもがいる
② 家族のサポートがない
③ それまで自分の収入で生活していない

それまでの生活背景も、学歴やキャリアも、年齢も関係ない。
この3つの条件に当てはまれば、誰でもそこに転がり落ちる可能性がある、という点が怖い。
①子どもがいて、②アメリカで生活している=実家支援なし ③仕事しているとはいえ夫の収入が断然メイン
の我が家はばっちり条件に当てはまるので、考え出すと夜も眠れない。
何かあったらどうやって暮らしてゆこうか・・・

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以前は、ジェンダー論についてどーたらこーたら難しく考えたりはしなかった。

でも、出産を経てすごく女性の立場について感じることが増えたと思う。
もちろん、人ひとりこの世に送り出すというその行為と、その後子どもを実際に育てるという責任のインパクトはそれだけで間違いなく人生を大きくギアチェンジするものなんだけど、もっと「浅はか」なところ・・・
表面的な体の変化や、周囲からどう見られてるかとか、命の誕生に比べりゃ結構どーでもいいところに、自分を測るものさしというか、自己自信(セルフ・エスティーム)の変化を見た気がする。
例えば妊娠9ヶ月の間に10キロ以上太って、それが産後一晩にして8キロ減るとか、
妊婦服とか、授乳服とか、もちろん体型の変化とか・・・。
妊娠する前の自分のアイデンティティと、妊娠中のアイデンティティと、出産後のアイデンティティと
その三つはなんかもー別人かと思うほど違うような気がする。
本人も別人みたいなアイデンティティの間で戸惑ってるけど、実際周囲も、その変化を潜り抜ける当人を見る目がすごく変わるし。
要するに、女性は妊娠・出産を通じて肉体的・精神的変化を通り抜ける っていう単純なボトムラインなんだけどさ。

そこへもって、社会的な役割も加わってきて、「娘」とか「女の子」とか呼ばれていた個体が、「妊婦」になって、「お母さん」になるわけで、それぞれの単語の上に想像するビジュアルって、大分違うよね?

でも、恐ろしいことに、妊娠・出産って9ヶ月あればゼロから小指の爪が作られるところまで完了する。
「娘」「女の子」が19歳で
「妊婦」は30歳で
「お母さん」は35歳なわけではなく、
これ全部、19歳の間に通り抜けることができるわけなのだ。

だからこそ、そんな光速並のスピードで変化する自己アイデンティティや社会的期待に乗り遅れるのはむしろ当然で、きっと古くから、女の人は生まれてきた赤ちゃんと、周りでサポートしてくれる人たちの中でゆっくり、お母さんになる精神的準備をできたのだと思う。でも、今は流れがもっと速いし、サポートしてくれる人もあまりいない。全部自分で、その劇的な変化についていって、新しいやり方を決めて、新しい自分を向き合わないといけない。
しかも新しい命を目の前にして。
これは、結構大変なことだと思う。

昔は良くも悪くも、女性にそんなに多くを社会は求めなかった。
おそらく、私たちの母親世代は、社会からのプレッシャーを感じずに専業主婦・専業子育てをできた最後の世代なんじゃないかな。私が小学生の頃はまだ「24時間闘えますか」の言葉もなんとなく生きていたし、実際父は常に仕事だった。高度成長期の尻尾がまだ残っている頃は、まぁどのお家もお父さんはお仕事でいなくて、お母さんがお家のことをする、という方程式で答えがそれなりにまとまっていたのだと思う。
生まれてこのかた、好景気なるものを経験したことがない私たち世代は、子どもの頃からなーんとなく、世の中っつーのはよくわかんないけど、ひっくり返りそうなリスクをはらんでいるから、それに備えて勉強しろ、しっかりしろ、と叩き込まれて育ったせいか、常に不穏だ。

んで、そんな不穏な社会でしっかりサバイブしようと仕事マンに徹すると、今度はやれ少子化だー女性は子どもを持ってこそ幸せだー高齢になると産めなくなるわよ 等々ノイズも聞こえるし。
じゃぁしっかり家庭を持って、子どもたちを一生懸命育てる側に潔く立ってみると、超優良企業勤務のはずの旦那がレイオフされる、と。
じゃぁ私も働くわ、と求人広告を眺めると、面白いほど子持ちの女性を採用するフルタイムポジションって存在しないと。

なんなんだと。

意味わかんないわよ。

これじゃーどこに私のアイデンティティ安心して置いたらええのか、わけわからんわよ。

妊娠・出産はたった9ヶ月なんですってば。

「20年必死こいてお勉強してきても、一人産んだら全部パー。努力した意味ない」

は早稲田大学政経学部出身のお友達の声だが、これが全てを物語ってる。
だから、産みたくない。出産の向こう側って、あんまり楽しそうなことないよね。。。苦労はしそうだけど。。。というのが日本の女性の本音なんじゃないかな。

かといって、育児放棄をして子どもを殺した人をかばうつもりは毛頭ないが、
ニュースの続報で彼女がミクシィに自分の夏をエンジョイしている写真を大量にアップして
プロフィール欄に「やり直しました。せっかく女に生まれたんだもん」と自己紹介を書いていたと読んで
あぁ、母親アイデンティティから逃げて娘に戻りたかったんだなと思った。
(あああー書いててもムカっ腹が立ってくるけど・・・そんな瞬間誰にでもあるわい!!だからといってそんなことするなんて本当に信じられない。ハムラビ法典適用してほしい。)

この事件は、なんか、ただ虐待という事件性だけではなくて、今日本や世界で置かれている女性の脆弱な立場が露呈されたような気がして、頭から離れない。

日本の貧困層に落ちる若い女性たちを救わないと、日本はまた発展途上国みたいに、女子特別教育が必要になってくるかもしれない。第三世界だろうと、経済大国だろうと、プロフェッションを持っていない女性が最悪の場合に売るものは一つ。
そして、そんな「最悪の事態」がもっと普通の人たちの間に、頻繁に起こり得るようになっている世の中。
プロフェッショナル分野での女性進出を、とかはもはや別次元。
どうしたら、女性が安心して子どもを産んで、最悪自分一人でも育てられるようになるか、真剣に考えて実行していかないと、これからもクラッシュの末、健全なお母さん精神がどこかへ行ってしまう「未熟母」は増えるだろうし、子どもたちが犠牲になる状況は続くと思う。
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# by akikogood | 2010-08-06 11:51

忘れないこと

子どもはかわいいくて、愛さずにはいられない

それは前提のように思えるし、動物だって自然に行う先天的な行為のはずなのだけど、

実際は、そういう環境をつくって、実際に可愛がって愛さずにはいられない状況を作るのは

保護者の責任で、それにはすごく人為的な努力が必要で、そんな愛情が湧き続けるというのは

後天的な所為なのかもしれない。

そんなことに気付きもせずに、気付かないままでよい状況で子どもを愛せるのは
それだけでとても幸せな生活を送っている証拠なんだろう。

人間は弱いから。
簡単に崩れるし、崩れた瓦礫が子どもの上に落ちるようなことにだけはなりたくない。


だから今持っているものを大事にしよう。

夫婦を、

精神と肉体の健康を、

家の基盤を作るものを。



改めて思う。

大事にしよう。
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# by akikogood | 2010-08-03 12:18

ちきりんの日記 抜粋

以下ちきりんさんのブログを抜粋。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/comment?date=20100801#c

ビューアーのコメントも参照してみてください。




2010-08-01 誰が何をネグレクト?
あなたは、

あなたの奥さんは

あなたの娘さんは、

20代で結婚して、子供を2人産んで、離婚したら、母子で自活できますか?



母親が売れっ子歌手やトップ女優でもないかぎり自活は無理でしょ。本人の資質や努力、やる気なんて関係ありません。どんなに能力、やる気があっても幼児2人抱えて自活できる20代の女性なんてほぼ皆無です。ホストクラブに通ってたとか言われてるけど、ホストクラブに通わず必死で働いてたら、食べていけたと思います?



20代で結婚して出産した人が離婚したら、自動的に“誰かが支援する必要”があるってことでしょ。

支援するのは誰?

・別れた夫(慰謝料、養育費)

・実家の親

・公的福祉(生活保護)

でしょうか。現実的には、別れた夫(夫も若いでしょうし)が自分の生活費に加え“母子3名の生活費”を払い続けるのも、このご時世では苦しいでしょう。



つまり、20代で結婚、出産した女性が離婚した場合、

(1)本人がトップ女優や歌手で高額収入がある

(2)別れた夫に相当の稼ぎがあり、母子3名の生活費を何年にもわたって払い続けられる

(3)実家の親が助ける

で、ないかぎりは、

(4)生活保護で食べていく

しか、母子に生きる道はありません。



だったら、市役所で離婚届けを受け付ける時に、

・母親がトップ女優や歌手ではなく、

・父親が支払うと約束した額と現実的な支払い見通しが不十分で、

・実家に、生活を支援する財力と予定があると確認できなければ、

「では、このまま生活保護課に行って、手続きしていってくださいね」と、離婚届けを受理する係の人が、離婚届けと引き替えに生活保護申請書を渡しながら言う必要があるんじゃないの?



違うのかな・・



「育てられないのに産むなんて無責任」という人は、20代で結婚&出産をしちゃダメだと言ってるの?

“離婚する可能性”は誰にでもあるでしょ。“離婚しても自活できる経済力を付けてから子供産め”ってこと?それが責任ある態度だというの?それいったい何歳くらいのこと?40歳くらい??何歳まで働いたら“離婚しても子供2人養える経済力”なんてつくの?

少子化対策ってのは、できるだけ早めにたくさん子供産みましょうね、っていう政策なんじゃないの?そのために特命大臣まで任命したりしてんじゃないの?



★★★



記録のための事件概要

・2006年12月、女性は19才で、大学生だった男性と結婚

・2007年5月、20才で第一子(長女)を出産。夫の実家で同居(後に近隣のアパートに転居)

・夫は大学をやめて工場で期間工として働き始める。

・2008年10月、2人目(長男)を出産

・2009年5月 離婚。女性は子供を引き取り、名古屋に出て飲食店(託児所付)で働きながら育てる。

・2010年の1月 大阪の風俗店(ヘルス)で働き始め、店が用意したアパートに入居

・3月頃から育児放棄開始か。ホストクラブで遊ぶなどし外泊を繰り返す。

・夜中に子供の悲鳴が聞こえ、児童虐待ホットラインへの通報が相次ぐ。職員、警察も訪問するが、母親に会えず。

・6月に子供(当時3才と1才)を放置して家を出る。

・7月上旬、元夫に「仕事しながら子育てするのはしんどい」と相談(未確認)

・家には戻らず、妹の家などを転々。

・大阪市西区のマンションでは、置き去りにされた幼児2人が遺体で発見される。

・7月30日 勤務先の社員から呼び出されて現れたところを、死体遺棄容疑で逮捕。

(今日時点で報道されている範囲でのまとめです。)



★★★



“ネグレクト”の意味は、怠慢とか、責務の放棄という意味だと思うのだけど、



この事件では、誰が何をネグレクトしたの?

A) 母親が育児をネグレクト

B) 父親が養育をネグレクト

C) 行政が国民保護をネグレクト



★★★



この女性が第一子を生んだ2007年、年末のブログより転載

2007-12-30 08:23:42

とうとう2007年もあと残すところ2日ですよ。

私、この2007年はいろんなことがありました。

まず、5月8日にハタチになったこと。

なんか嬉しいような少し悲しいような。



少女でもなく、大人でもない10代後半はほんとに

あっという間だったけど、私の人生の中で

何かが変わった瞬間だった気がするもん。

10代ではなく、20代ってすこし悲しいかも…



そしてハタチになって1週間後、

待望の娘を出産。

10ヶ月の妊娠期間は本当に本当につらいものでした。

でもそれと同時にだんだん大きくなるおなか、

私はひとりじゃないんだと、思わせてくれた小さな命。

わが子に対面したときは、言葉にならないほど嬉しかった。

大好きな旦那との子供、私の子供、こんなに可愛いものだと

思ってもいませんでした。



そして、期間従業員であった旦那が

難問と言われる正社員試験に合格しました!!

私のひとつ上(今年21歳)になった旦那は

私が妊娠した当時、現役の大学生。

妊娠したことを報告したとき、彼は

「大学をやめて、働いてく。結婚しよう」

と言ってくれました。



その時は嬉しかった。

でも毎日大変そうな旦那の姿を見ていると

「これでよかったのかな」と思う日々。

ところが精一杯勉強して試験に合格した日

すごく喜んでいる彼を見て

なんとなく安心していた私。ありがとう。



そして先週の結婚式。

順番は違いますが先週だったんです。

挙げさせてくれたお父さん、旦那の両親に

本当に感謝でいっぱい。

そして祝福してくれた家族、親戚、友達、

そのほかにもた~くさん。



本当に本当にありがとうございました。




少子化対策もいいけど、既に生まれている命も、もうちょっと真剣に保護したらどうかな、うちの国。



2人の子供さんのご冥福をお祈りします。
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# by akikogood | 2010-08-02 12:09

大阪の事件について

そりゃもちろん、感情面に訴えて、
「そんなのありえない。どうしたらそんなことできるのか分からない」と言えるのは、
自分が幸せな人間だということだ。

不自由なく生活できる基盤と、協力的なパートナーと、何かあったときには助けてくれる日本にある実家と、健康と、友達と、仕事まである。

23歳で、学歴もキャリアもなく、妊娠して、結婚して、離婚することになったらどうするか。


最悪の事態で、子どもと自分だけになったとき、どうやって生きてゆくかを、自分で決められるような経済的なキャパシティがないなら子どもは持たないほうがいいですよ、というスタンスの限り、日本で若い女性に子ども産め産めいうのは無理があると思う。
今、東京で働いている私の友達や妹たちは、英語で言ったらリアルに"working their aXX off"ってかんじに働いてるわけで。そんな状況から、はい子どもできました、仕事と両立します、経済レベルは前のままで、って大企業だって無理でしょ。どうしたって、勤務時間を減らすのか、子どもといる時間を減らすのかっていう選択になる。
大企業でベネフィットが良ければ、キャリアの維持は十分可能だけど、スパっと辞める人もたくさんいるし、ましてや中小企業に勤めてて、ベネフィットもなくて、働いたら養育費がかさんで赤字になるなら、仕事を辞めるってのはかなり普通の選択だよね。
それで離婚とか死別とか、何かあったら、仕事見つけられません、支援もありません、どうやって生きていきますか? っていうのが問題の辿るコースなんだろうなぁ。
やっぱり、「ドロップアウトした人」っていうコース分けが色んなところで壁を作っているのかなぁ。
日本で子どもできてから就職活動するときって子どもの有無を伝えたりするのが普通と聞いたけど
それってアメリカではあり得ないよな・・・

でも、ぶっちゃけ、総合職で銀行に入った瞬間に、これ、家族持ってからもずーっとこの企業文化の中で勤め続けるの、無理だ、ととっさに悟った。働き続けるって、制度も大事だけど、文化や雰囲気も制度と同じくらいに大切だと思う。子どもできても働き続けられるフトント職は皆無なかんじだった。残業するかしないかとか、上の顔色うかがうかとか、そんな些細なことがキャリア持続の可否を分けるのかも。
でもそういや、同期の男の子で、次の年に総合職入行が決まっている新卒の女の子を妊娠させて、結婚した子がいたな。結局彼女のほうは、確か入行と同時に育休とって、とかそんなかんじだったかな?それってもしかして最強のパターン?会社のほうは妊娠したからといって内定取り消すわけにもいかないし、その子たちは、若手の頃から、子どもがいながらして二人とも総合職、という環境が当たり前なのでキャリア継続も自然とできそう。どうなっただろう?

それにしても、母親と子どものみで世間に放り出される状態になった場合、年収300万台だったら、貧困ラインギリギリで政府の補助もらって暮らす、あるいは実家に戻る(後者が普通だろう)
勝間和代クオートで「インディペンデントな女性=620万稼ぐ」としても家賃払って、保育費払って、を一人で子ども成人するまでするキワどいライン。勝間さん自身離婚してるけど、彼女だって高額の収入を維持するために深夜まで働いて、結局実家の母親が娘たちを育てたようなもんだって、どこかで言っていた。
実家の母がいなかったら・・・?
ベビーシッター制が発達していない日本では、女性が620万以上の収入を一人で稼いで子ども育てるのは、至難の業だと思う。それでも、これからは620万以上ラインを取って常に実家が育てるか、母子家庭貧困ラインを取るのか、の狭間でもがく家庭はたくさん出てくる。

亡くなった子どもたちのことを考えると、浮かんでくるビジュアルが強すぎて、あまり焦点を合わせないようにする3Dみたいにしてるんだけど、やっぱり、問題の色が濃くて、ブログにあげてみました・・・

おかしいよね・・・周りの人たち、もっといくらでも声かけられたはずなのに。

悲しいです。
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# by akikogood | 2010-08-02 12:06

アメリカの車窓から

NYCまで通勤していた頃は、たまに電車も使っていたが、この辺の電車から見える風景ほどもの哀しいものはない。
打ち捨てられた工場や、スクラップされた車の山が延々と続く。ニューアーク空港の周辺なんて、牢獄まで見えて、 たまに囚人たちがバスケットボールをしたりしてるのまで見える。ニュージャージーだけではなく、東海岸はコネクチカットの海岸沿い一部を除くほとんどの地域で、車窓から見えるのはそんな風景ばかりだ。

人種により居住地が明確に区分されているのはアメリカではよくあることだが、大抵そんな寂れた土地に見えるのはアフリカ系ばかりで、アメリカのリアルを見る。

日本では、近日一般公開になった長崎半島の先にある軍艦島が連日大賑わいだというほど、廃墟は一種魅力的な存在で、そこに見るものはかつてはたくさんの人が出入りし栄えていたろう建物の持つ記憶と、ノスタルジーなのだろう。土地の狭い日本には、廃墟をそのままにしておくなどという土地的余裕はなく、常にスクラップ&ビルトが繰り返され、久しぶりに東京を訪れてみると、見たこともないビルがぼんぼん建っているという状態になっている。

一方、西部開拓を基盤に発展してきたアメリカは、常に動きながら発展するスタンスで、使えなくなったものはそのままそこに残して、前に進もうや的なある種前向きな放棄と、広大な土地に甘える恐ろしいほどに大きな浪費で国力を伸ばしてきた。どうやら、今線路沿いに残っている残骸だけになった工場の大多数は、1940年代頃に作られた製鉄所などで、ところどころ建物の外壁には「国のために貢献しています」とか書かれた看板があったりする。現在はハイウェイを使ってのトラック輸送が主になったアメリカも、当時の主要な輸送手段は鉄道だったことを考えると、鉄道沿いに工場を建設するのは合理的だったのだろう。
ところが、グローバリゼーションに伴い工場での仕事がぼんぼん海外にアウトソーシングされ始めると、もはやアメリカに建ててしまった工場は単なる鉄の塊となってしまった。それを再び更地にして、転売するためには汚染された土壌を除去して、などと考えると、どう考えたって建っちゃった建物そのままにしておくのが一番コストがかからない。土地だってこんなに余っているし、その土地使わないなら、きれいにしてとは誰も言わない。

そうして人が去った廃墟は、グラフィティ・・・まぁ平たく言えばただの落書き、にまみれて、ドラッグディーラーとホームレスにとっては最適な場所になり、犯罪が頻発するようになり・・・というサイクルがうまれる。おそらくかつては工場員たちとその家族で活気に溢れていただろうコミュニティはすっかり廃り、不動産価値が下がったところで、移民やアフリカ系が押し寄せて、新たなコミュニティが形成されてきたのだろう、と想像した。

それにしても、ひどい様相である。
ワシントンDCとフィラデルフィアの間にあるボルチモアという海沿いの町は、独立軍がイギリス戦艦に勝利を収めて、アメリカ国歌が創られたという歴史ある街だが、なんと、家のほとんどが焼失している。なぜか?これは、経済に困窮した住民が、火事で災害保険をおろそうと自ら放火するケースが後を絶たないからだという。自分の家を焼け落とす。これは、ゲトーでは良く見る風景で、ミシェル・オバマなどが育ったシカゴのコミュニティもこんな状態の家がたくさんあった。初めてその事実を知ったときはショックだった。
アメリカ独立の歴史を誇る街も、今ではこんな有様。

トレントンはニュージャージーの州都でありながら、御用がないならなるべく行きたくない街ナンバーワン。立派なのは官庁だけで、その周辺のコミュニティは驚くほどに治安が悪い。そのトレントンも、ウィキペディアによると、1800年代後半から1900年代初頭にかけてはゴム製品、鋼鉄、セラミック製品の製造の要であった。現在、電車から見えるちょっと哀しいスローガン“Trenton Makes, The World Takes”(トレントンが作り、世界が使う)はその当時の興隆を想わせる。結局、他の工業地帯と同じく、1960年代から70年代にかけて、生産業・工業がアメリカ全域で大幅に後退すると、トレントンも寂れた。
かつては、イタリア系、ハンガリー系、そしてユダヤ系がマジョリティを占めた人種構成も、60年代を境に大幅に変化し、現在ではトレントン人口の52%がアフリカ系。そして中間世帯所得は31K≒300万円未満、人口の20%が法定貧困レベル(平均的な生活水準を保つための最低年収基準、連邦政府の設定した貧困ライン)を下回り、生活保護受給対象である。
調べなくとも、ボルチモアやフィラデルフィアのダウンタウンなど、車窓から見える範囲のコミュニティが、トレントンと同じ歴史的経緯を辿り、現在どんな様相をなしているかは右へ倣え状態で同じだろうことは見当がつくだろう。

驚くのは、この辺の比較的土地価格が安い郊外のみならず、現在価値できちんと清算すれば、結構な不動産価値になるのでは?というような立地にまで、古い工場が打ち捨てられていることだ。
ニューヨークはマンハッタンからフェリーに乗って対岸にあるニュージャージー側に行こうとすると、そこに立ち並ぶのは今風の都会的なデザインのコンドミニアムや綺麗に整えられた公園などだが、そこにも突然、某有名会社のマークをデカデカと残したままの捨てられた工場が見える。この会社は、今でもアメリカで大手の砂糖製造会社なのだが、あんな状態を前に、例えば最近新しくできたコンドに引っ越してきた住民たちや、マンハッタンサイドから景色を眺める人々は、「景観を損ねる」とか日本では良く耳にするような文句を言ったりしないのだろうか?それとも、むしろ、そんな現代風に変化してきた周辺の風景の中で、未だにノスタルジーを誘うその建物の存在は、人々をなんだかちょっと慰めるような存在なのだろうか?
それは、例えばお台場に突如打ち捨てられたなんとか製菓の工場が現れるようなものなのだけど、なんとなーく、ニューヨークの雰囲気には似合わないことも、ない。

話が逸れたが、電車に乗るたびに想うのは、そんな車窓から見える景色の中の昔と今だ。

なんとか、コミュニティを向上させるような、土地再利用案はないのだろうか?
アメリカは、こんな風に、いらなくなったらそのまま捨てる、を繰り返しで、これからもやっていけると想っているのだろうか?
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# by akikogood | 2010-07-13 11:25 | アメリカ、エスニシティー