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インディペンデント・ウーマン・・・じゃなかった

少し前に、「新旧インディペンデント・ウーマン論」というエントリで、1920年代からタイムズスクエアには売春で商売をする「インディペンデント・ウーマン先駆け」がおったということを題材に、今の日本ではそんなタイムズスクエア的状況が起きていて、何故か夜のお仕事が女子たちのあこがれの職業NO1だと書いた。
そのときの問いかけは、それはプロフェッショナルな分野で女性が進出しにくいからなのか、あるいはそれが21世紀型サービス業「自分オリジナルブランド」を確立する最短の道だからなのか、という二つだったが、今回の事件でふと思った。
そんな小難しいことじゃなく、単純に、「貧困が若い女性の間に広まってきている」からじゃないのか。
簡単に、何の職業背景もなく、若さと美貌を売りにお金が得られるのが、夜の仕事だからじゃないのか。
特に、子ども抱えて生きていかないといけなかったら、倫理も何もない、お金が必要だ。

一昔前なら、世間体や家族の保守性が守ってくれたのかもしれないけれど、今じゃ誰も気に留めない。
一度踏み込んだら、やはりお金はいいだろうから、そう簡単にその辺のアルバイトじゃ満足できる額を稼げない。そうしてどんどん転がり落ちる。

そして、恐ろしいことに、この貧困層に転がり落ちる可能性を秘めているのは、学歴やキャリアがない若い女の子たちだけではない、という点だ。
ちきりんさんのブログに重複するが、条件は三つだけ。

① 子どもがいる
② 家族のサポートがない
③ それまで自分の収入で生活していない

それまでの生活背景も、学歴やキャリアも、年齢も関係ない。
この3つの条件に当てはまれば、誰でもそこに転がり落ちる可能性がある、という点が怖い。
①子どもがいて、②アメリカで生活している=実家支援なし ③仕事しているとはいえ夫の収入が断然メイン
の我が家はばっちり条件に当てはまるので、考え出すと夜も眠れない。
何かあったらどうやって暮らしてゆこうか・・・

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以前は、ジェンダー論についてどーたらこーたら難しく考えたりはしなかった。

でも、出産を経てすごく女性の立場について感じることが増えたと思う。
もちろん、人ひとりこの世に送り出すというその行為と、その後子どもを実際に育てるという責任のインパクトはそれだけで間違いなく人生を大きくギアチェンジするものなんだけど、もっと「浅はか」なところ・・・
表面的な体の変化や、周囲からどう見られてるかとか、命の誕生に比べりゃ結構どーでもいいところに、自分を測るものさしというか、自己自信(セルフ・エスティーム)の変化を見た気がする。
例えば妊娠9ヶ月の間に10キロ以上太って、それが産後一晩にして8キロ減るとか、
妊婦服とか、授乳服とか、もちろん体型の変化とか・・・。
妊娠する前の自分のアイデンティティと、妊娠中のアイデンティティと、出産後のアイデンティティと
その三つはなんかもー別人かと思うほど違うような気がする。
本人も別人みたいなアイデンティティの間で戸惑ってるけど、実際周囲も、その変化を潜り抜ける当人を見る目がすごく変わるし。
要するに、女性は妊娠・出産を通じて肉体的・精神的変化を通り抜ける っていう単純なボトムラインなんだけどさ。

そこへもって、社会的な役割も加わってきて、「娘」とか「女の子」とか呼ばれていた個体が、「妊婦」になって、「お母さん」になるわけで、それぞれの単語の上に想像するビジュアルって、大分違うよね?

でも、恐ろしいことに、妊娠・出産って9ヶ月あればゼロから小指の爪が作られるところまで完了する。
「娘」「女の子」が19歳で
「妊婦」は30歳で
「お母さん」は35歳なわけではなく、
これ全部、19歳の間に通り抜けることができるわけなのだ。

だからこそ、そんな光速並のスピードで変化する自己アイデンティティや社会的期待に乗り遅れるのはむしろ当然で、きっと古くから、女の人は生まれてきた赤ちゃんと、周りでサポートしてくれる人たちの中でゆっくり、お母さんになる精神的準備をできたのだと思う。でも、今は流れがもっと速いし、サポートしてくれる人もあまりいない。全部自分で、その劇的な変化についていって、新しいやり方を決めて、新しい自分を向き合わないといけない。
しかも新しい命を目の前にして。
これは、結構大変なことだと思う。

昔は良くも悪くも、女性にそんなに多くを社会は求めなかった。
おそらく、私たちの母親世代は、社会からのプレッシャーを感じずに専業主婦・専業子育てをできた最後の世代なんじゃないかな。私が小学生の頃はまだ「24時間闘えますか」の言葉もなんとなく生きていたし、実際父は常に仕事だった。高度成長期の尻尾がまだ残っている頃は、まぁどのお家もお父さんはお仕事でいなくて、お母さんがお家のことをする、という方程式で答えがそれなりにまとまっていたのだと思う。
生まれてこのかた、好景気なるものを経験したことがない私たち世代は、子どもの頃からなーんとなく、世の中っつーのはよくわかんないけど、ひっくり返りそうなリスクをはらんでいるから、それに備えて勉強しろ、しっかりしろ、と叩き込まれて育ったせいか、常に不穏だ。

んで、そんな不穏な社会でしっかりサバイブしようと仕事マンに徹すると、今度はやれ少子化だー女性は子どもを持ってこそ幸せだー高齢になると産めなくなるわよ 等々ノイズも聞こえるし。
じゃぁしっかり家庭を持って、子どもたちを一生懸命育てる側に潔く立ってみると、超優良企業勤務のはずの旦那がレイオフされる、と。
じゃぁ私も働くわ、と求人広告を眺めると、面白いほど子持ちの女性を採用するフルタイムポジションって存在しないと。

なんなんだと。

意味わかんないわよ。

これじゃーどこに私のアイデンティティ安心して置いたらええのか、わけわからんわよ。

妊娠・出産はたった9ヶ月なんですってば。

「20年必死こいてお勉強してきても、一人産んだら全部パー。努力した意味ない」

は早稲田大学政経学部出身のお友達の声だが、これが全てを物語ってる。
だから、産みたくない。出産の向こう側って、あんまり楽しそうなことないよね。。。苦労はしそうだけど。。。というのが日本の女性の本音なんじゃないかな。

かといって、育児放棄をして子どもを殺した人をかばうつもりは毛頭ないが、
ニュースの続報で彼女がミクシィに自分の夏をエンジョイしている写真を大量にアップして
プロフィール欄に「やり直しました。せっかく女に生まれたんだもん」と自己紹介を書いていたと読んで
あぁ、母親アイデンティティから逃げて娘に戻りたかったんだなと思った。
(あああー書いててもムカっ腹が立ってくるけど・・・そんな瞬間誰にでもあるわい!!だからといってそんなことするなんて本当に信じられない。ハムラビ法典適用してほしい。)

この事件は、なんか、ただ虐待という事件性だけではなくて、今日本や世界で置かれている女性の脆弱な立場が露呈されたような気がして、頭から離れない。

日本の貧困層に落ちる若い女性たちを救わないと、日本はまた発展途上国みたいに、女子特別教育が必要になってくるかもしれない。第三世界だろうと、経済大国だろうと、プロフェッションを持っていない女性が最悪の場合に売るものは一つ。
そして、そんな「最悪の事態」がもっと普通の人たちの間に、頻繁に起こり得るようになっている世の中。
プロフェッショナル分野での女性進出を、とかはもはや別次元。
どうしたら、女性が安心して子どもを産んで、最悪自分一人でも育てられるようになるか、真剣に考えて実行していかないと、これからもクラッシュの末、健全なお母さん精神がどこかへ行ってしまう「未熟母」は増えるだろうし、子どもたちが犠牲になる状況は続くと思う。
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by akikogood | 2010-08-06 11:51
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