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アーミッシュ村へのマインドトラベル

大分前になるが、9月の1週目、レイバーデーの3連休にお隣のペンシルベニア州にある「アーミッシュ地区」こと、ランカスターカウンティまで足を伸ばした。足を伸ばすといっても、うちから車で2時間半足らずで着いてしまって、逆を言えば、世界中の富が集まるマンハッタンからだって3時間ちょいあれば、電気なし、PCなし、電話なし、馬車で暮らす人たちの土地に来られるという事実がアメリカという国の「広さ」を物語っているように思う。

着いてはみたものの、ホテルはランカスターのダウンタウンだったので、さてアーミッシュのコミュニティに行くといっても、どうやって行けるかと思いきやホテルのフロントデスクのお姉さんは「大丈夫ですよ」と朗らかに言う。「行ってみれば、すぐにわかるわ。」

その言葉の意味が分かるまでそう時間はかからなかった。アーミッシュの人々が観光客向けに商いをする小さな店が連なる国道は、土曜の午後とあってかギッシリの大渋滞。えっ、馬車と電気なしの質素で静かな田舎風景はどこに・・・と絶句するほど観光化されていてガッカリ。土産物屋に入ってみても、日本のちょっとダサい地方観光地みたいな雰囲気でアーミッシュでない普通の人たちが不味い料理を給仕して、デブデブな観光客が、またその不味い料理をガツガツ食べている様子を目の当たりにして食欲も失せた。

そんなわけで、観光客の車が大量に駐車されている場所を避けるように運転して、適当に脇道に入ってさらに運転してみると、なんと、一面に広がるトウモロコシ畑。
先ほどまでの喧騒が嘘のよう。対向車とすれ違えるかドキドキするくらいの細い道を、注意深く走っていると、あっ!前方に、馬車が!

そうして、初めて車道に走る馬車(バギー)を見たときは感動したが、ランカスターでの滞在時間が長くなるにしたがって、馬車を前に徐行運転しながらゆっくりそれを追い抜いたり、馬のくさい落し物がタイヤにどのくらい挟まってるだろうか、と気にし始めたりして、フロントガラスに馬車が映る光景には案外早く馴染んだ。

バギーには集落ごとに様々なタイプや色のものがあり、屋根のついたバギーを運転できるのは成人してからで、子どもたちだけの場合はただの箱のような馬車だとか、州法で馬車にもウィンカーを付けることが義務付けられているため、自家発電式のLED電子ウィンカーを付けていること(実際、信号待ちで前にバギーがいる場合、ウィンカーがついていないと非常に危険だと思った)などは、後から本を読んで知った。

観光化が最も進んでいる国道30号周辺を除くと、イチ観光客としてはランカスターへの旅はたった1泊だったとは思えないほどのマインドトリップになった。

ジャカルタも、NYも、東京も、ものすごい距離を移動している割には、そこで表面的に共有されている生活様式や価値観はだいたい同じで、特に大都市ではどの国に行っても同じ店があるし、もっとお金を稼いでもっと先進的な生活をしたいとみんな頑張ってるのも一緒だ。どの国でも、政府が自分たちの生活を充分に守ってくれないと怒っている人たちがいて、一方で、信じれないくらいの大金持ちがいたり。
アーミッシュは、そういう、私たちの生活を蜘蛛の巣状に取り巻いている当たり前のモノや価値観、政府のシステムからかなり独立して自分たちで出来る限り自給自足の生活を達成していて、その一方で、実際そんな自分たちのコミュニティの外には良くも悪くもたくさんのアクセスがあることもよく熟知した上で、うまく取り入れているように見えた。

LEDのウィンカーにしてもそうだし、実際彼らは自分たちで運転はしないものの、運転できる人を雇うことは認められており、長距離を移動する際やビジネス上ではトラック運送業者をよく雇う。電話は家の中にはないが、屋外についている家がほとんどだし、カメラは自己崇拝に通ずるので禁じられているものの、発電式の「コンピューター」(ワードやエクセルなど基本的なソフトウェアの使用のみが可能で、インターネットへのアクセスはできない)の使用はビジネス上かなり許容されているらしい。そうやって、自分たちなりに信仰を妨げない技術についてはフレキシブルに取り入れながら、一本線を貫いて暮らしている姿に少し羨望というか、そんな不思議な気持ちを抱いた。

だって、家族が平和に安心して暮らせて、子どもたちを犯罪のない、少人数制の環境の整った学校に通わせる。
たったこれだけのことを実現するために、どれだけの人が、どれだけ一生懸命、でっかいシステムのひとコマになってようが何だろうが、働いていることか。
それを、当たり前のことのように、いや、そんな一部にはなりませんから、と自分たちだけで達成している彼らを、うらやましいと思った。
いいなぁ、来月から、キミの部署はインドにアウトソーシングすることになったから、とピンクスリップを渡されることもなければ、次々とアップデートされるソフトウェアに一生懸命慣れて自分も常にアップデートさせていかないといけないプレッシャーもない。どうやったらこれからのグローバル化されてく競争市場で生き延びていけるか戦々恐々としなくていい。子どもの年齢が上がってきたら、学校地区も考えて、郵便番号5桁をグーグルして他の地域へのお引越とかも考えなくていい。
ラティーノコミュニティや、貧困地区には銀行営業マンがやってきて、15%の利子でモルゲージを組む契約を次々作ったらサブプライムでみんな家を失っちゃったけど、アーミッシュの人々は2007年も、リーマン危機も大して意味はなかっただろう。実際、私たちがとっくの昔に失ってしまったコミュニティ間での相互扶助というお金では買えないセーフティネットや財産がたくさんあるのだ、彼らには。

もちろん、たくさんの課題やコミュニティ内外での葛藤は常にあるに違いない。
な~んも知らずにちょろっと考えただけでも、馬車と自動車の交通事故が多いことは容易に想像がつく。
聖書の教えに従った独自の規則から、アーミッシュの人々は社会保障も受け取らないし、一般的な健康保険にも加入しない。医療費がバカ高いアメリカなので、病気や怪我をした場合や交通事故があった場合、どんな備えをしているのか気になる。信仰への疑問がうまれないよう、子どもへの教育は小学校3年生程度までで充分というアーミッシュの考えは、実は国際社会から見れば子供の人権侵害で、実際アメリカ合衆国からは訴訟をされている。アメリカに残った最後の平安の場所と言われたアーミッシュ村にも、2006年にはコミュニティ外からやってきた男が学校に立てこもり子どもたちを殺害した。

けれども、もっと限界集落みたいなところで、偏屈そうなかんじで、井戸の中の蛙状態で暮らしているのかと思って、ちょっと物見見物、というノリで遊びに行って見たら、意外や意外、私たちよりも精神的にも物質的にもずっと豊かに暮らしているような穏やかで優しい彼らの横顔を見て、イメージがすっかりひっくり返ってしまった。
カッコいいな、彼ら。

金色に輝く畑のトウモロコシは、実がこぼれそうにたわわになっていて、今年は豊作だったことを窺わせた。




~参考~

興味湧いたからアマゾンで買った本 Amish Grace: How Forgiveness Transcended Tragedy
日本語訳も。
アーミッシュの赦し―なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか

このエントリ書いてる間に偶然出てきたブログ Amish arbitrage 彼ら土地運用もうまいらしい・・・やるな・・・読者のコメントや素朴な質問がなかなか面白い 
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by akikogood | 2010-09-30 11:51 | アメリカ、エスニシティー

アメリカの車窓から

NYCまで通勤していた頃は、たまに電車も使っていたが、この辺の電車から見える風景ほどもの哀しいものはない。
打ち捨てられた工場や、スクラップされた車の山が延々と続く。ニューアーク空港の周辺なんて、牢獄まで見えて、 たまに囚人たちがバスケットボールをしたりしてるのまで見える。ニュージャージーだけではなく、東海岸はコネクチカットの海岸沿い一部を除くほとんどの地域で、車窓から見えるのはそんな風景ばかりだ。

人種により居住地が明確に区分されているのはアメリカではよくあることだが、大抵そんな寂れた土地に見えるのはアフリカ系ばかりで、アメリカのリアルを見る。

日本では、近日一般公開になった長崎半島の先にある軍艦島が連日大賑わいだというほど、廃墟は一種魅力的な存在で、そこに見るものはかつてはたくさんの人が出入りし栄えていたろう建物の持つ記憶と、ノスタルジーなのだろう。土地の狭い日本には、廃墟をそのままにしておくなどという土地的余裕はなく、常にスクラップ&ビルトが繰り返され、久しぶりに東京を訪れてみると、見たこともないビルがぼんぼん建っているという状態になっている。

一方、西部開拓を基盤に発展してきたアメリカは、常に動きながら発展するスタンスで、使えなくなったものはそのままそこに残して、前に進もうや的なある種前向きな放棄と、広大な土地に甘える恐ろしいほどに大きな浪費で国力を伸ばしてきた。どうやら、今線路沿いに残っている残骸だけになった工場の大多数は、1940年代頃に作られた製鉄所などで、ところどころ建物の外壁には「国のために貢献しています」とか書かれた看板があったりする。現在はハイウェイを使ってのトラック輸送が主になったアメリカも、当時の主要な輸送手段は鉄道だったことを考えると、鉄道沿いに工場を建設するのは合理的だったのだろう。
ところが、グローバリゼーションに伴い工場での仕事がぼんぼん海外にアウトソーシングされ始めると、もはやアメリカに建ててしまった工場は単なる鉄の塊となってしまった。それを再び更地にして、転売するためには汚染された土壌を除去して、などと考えると、どう考えたって建っちゃった建物そのままにしておくのが一番コストがかからない。土地だってこんなに余っているし、その土地使わないなら、きれいにしてとは誰も言わない。

そうして人が去った廃墟は、グラフィティ・・・まぁ平たく言えばただの落書き、にまみれて、ドラッグディーラーとホームレスにとっては最適な場所になり、犯罪が頻発するようになり・・・というサイクルがうまれる。おそらくかつては工場員たちとその家族で活気に溢れていただろうコミュニティはすっかり廃り、不動産価値が下がったところで、移民やアフリカ系が押し寄せて、新たなコミュニティが形成されてきたのだろう、と想像した。

それにしても、ひどい様相である。
ワシントンDCとフィラデルフィアの間にあるボルチモアという海沿いの町は、独立軍がイギリス戦艦に勝利を収めて、アメリカ国歌が創られたという歴史ある街だが、なんと、家のほとんどが焼失している。なぜか?これは、経済に困窮した住民が、火事で災害保険をおろそうと自ら放火するケースが後を絶たないからだという。自分の家を焼け落とす。これは、ゲトーでは良く見る風景で、ミシェル・オバマなどが育ったシカゴのコミュニティもこんな状態の家がたくさんあった。初めてその事実を知ったときはショックだった。
アメリカ独立の歴史を誇る街も、今ではこんな有様。

トレントンはニュージャージーの州都でありながら、御用がないならなるべく行きたくない街ナンバーワン。立派なのは官庁だけで、その周辺のコミュニティは驚くほどに治安が悪い。そのトレントンも、ウィキペディアによると、1800年代後半から1900年代初頭にかけてはゴム製品、鋼鉄、セラミック製品の製造の要であった。現在、電車から見えるちょっと哀しいスローガン“Trenton Makes, The World Takes”(トレントンが作り、世界が使う)はその当時の興隆を想わせる。結局、他の工業地帯と同じく、1960年代から70年代にかけて、生産業・工業がアメリカ全域で大幅に後退すると、トレントンも寂れた。
かつては、イタリア系、ハンガリー系、そしてユダヤ系がマジョリティを占めた人種構成も、60年代を境に大幅に変化し、現在ではトレントン人口の52%がアフリカ系。そして中間世帯所得は31K≒300万円未満、人口の20%が法定貧困レベル(平均的な生活水準を保つための最低年収基準、連邦政府の設定した貧困ライン)を下回り、生活保護受給対象である。
調べなくとも、ボルチモアやフィラデルフィアのダウンタウンなど、車窓から見える範囲のコミュニティが、トレントンと同じ歴史的経緯を辿り、現在どんな様相をなしているかは右へ倣え状態で同じだろうことは見当がつくだろう。

驚くのは、この辺の比較的土地価格が安い郊外のみならず、現在価値できちんと清算すれば、結構な不動産価値になるのでは?というような立地にまで、古い工場が打ち捨てられていることだ。
ニューヨークはマンハッタンからフェリーに乗って対岸にあるニュージャージー側に行こうとすると、そこに立ち並ぶのは今風の都会的なデザインのコンドミニアムや綺麗に整えられた公園などだが、そこにも突然、某有名会社のマークをデカデカと残したままの捨てられた工場が見える。この会社は、今でもアメリカで大手の砂糖製造会社なのだが、あんな状態を前に、例えば最近新しくできたコンドに引っ越してきた住民たちや、マンハッタンサイドから景色を眺める人々は、「景観を損ねる」とか日本では良く耳にするような文句を言ったりしないのだろうか?それとも、むしろ、そんな現代風に変化してきた周辺の風景の中で、未だにノスタルジーを誘うその建物の存在は、人々をなんだかちょっと慰めるような存在なのだろうか?
それは、例えばお台場に突如打ち捨てられたなんとか製菓の工場が現れるようなものなのだけど、なんとなーく、ニューヨークの雰囲気には似合わないことも、ない。

話が逸れたが、電車に乗るたびに想うのは、そんな車窓から見える景色の中の昔と今だ。

なんとか、コミュニティを向上させるような、土地再利用案はないのだろうか?
アメリカは、こんな風に、いらなくなったらそのまま捨てる、を繰り返しで、これからもやっていけると想っているのだろうか?
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by akikogood | 2010-07-13 11:25 | アメリカ、エスニシティー

スクールバスを降りると、そこはアメリカだった

アメリカでアメリカの会社で働くということ。

シンプルながら、これをして初めて、自分はアメリカの内部にようやく入れたなという気がする。

いくらローカル採用を促進していてNYCのど真ん中にオフィスがあろうと、日系企業は日系企業。
あるいは、いくら横文字な名前であろうと、日本にある外資は日本化された外国企業。

ダーっと車が並ぶ駐車場に車を停めて、鍵をキュンキュンっとしめて
オフィスの正面玄関に向かう。

方々から、色んな格好をした色んな人が、同じように車から出てきてIDをぶら下げながら
エントランスに向かう。

・・・このかんじ、知っている。

これは、まさに、ジャカルタのインターナショナルスクールに初登校するときに
ぞくぞく感じたあの感覚、
そう、
「アメリカっぽいかんじ」
である!!

アメリカに住んでいて、アメリカの企業に勤めるんだから、それがアメリカっぽくなくて何かってかんじだが
初めて「アメリカっぽさ」を肌で感じたときの感覚はしばらく忘れていた。

「会社」のイメージは、長いこと、「高いビル」だったけれど、
ここにきて、突然2階建てになっちゃったし、
新卒の頃働いた会社は、部長から課長補佐まで飲み会の席が決まっていたのに
今の部のヘッドにはHey Bill!とチャットで話しかけちゃうし、

そういうのって、
「給食当番」→「カフェテリア」
「起立・礼」→「ヘーイ!ガイズ!」
「買い食い禁止」→「先生は授業中にコーヒーを飲む」
「制服スカート丈はひざ下10センチ」→「チューブトップはドレスコード違反」
とか、そんなレベルの、中学生だった私が初めてアメリカンスクールに足を突っ込んだ
あの感覚を思い出させるのだ。

社会人になって思うのは、やっぱり会社というのは
その国の教育のカタチを労働=国を動かす力に変えてゆく場所なんだなーということ。

私は普通の日本の公立中学に少しだけ通ったが、制服、先輩後輩関係、誰かが吐くようなレベルまでやるような部活や学校全体に漂う抑制の感じが異様に苦痛だった。
そこから、インドネシアの日本人学校に転出して、大分救われたけれど、あんなに開かれた雰囲気の学校は転入生・転校生が常にいる海外の学校ならではのことで、日本にある大抵の公立学校は、同じような価値観で学校が動いていると思う。一斉に並んで校庭で全体朝礼とか、運動会の入退場は必ず行進とか、前習えとか、今やれと言われたら、かなり違和感を感じるけれど、子どもの頃はそれが全てでそれが普通だと思っていたから、そうしていた。

でも、日本で新卒として日本の企業に勤めるということは、まず白いシャツと黒いスーツを着るということ、髪の毛は男子はもみ上げが伸びすぎない程度に切りそろえ、女子は目が隠れない程度に黒いゴムで留めるのが好ましいということだった。部活で養うべき先輩後輩関係や、体育会系ノリは、ものすごーく必要な処世術だし、同じ時間割で一斉に皆で同じことをする勉強の仕方や運動会の行進は、周りの空気を読みながら仕事を進めたり、そこに所属しているという強い感覚が全ての日本企業的価値観にぴったり当てはまる。

ま、新卒じゃなくなれば、そいういう外見がどーたらとか、体育会系がどーたらとかは大して誰も気に留めなくなるんだが、そういうカタチが少なかれ求められるのは日系企業で働く限り本当だと実感した。

だから、それが全てではないと知るきっかけになったジャカルタのアメリカンスクールに進学した16歳は、やっぱり自分に大きな転換期だったのだと今分かる。

日本の学校は、大抵コンクリの4階建てとかで、四角くて、上の階は高学年とかが通例だったけれど、アメリカンスクールは二階建てで、しかも廊下もまっすぐとかではなく、色んなところに蜘蛛の巣のようにつながっていた。休み時間や授業の選択も自分でしなければならず、友達はお昼休みの時間がばらばらだった。
日本の学校の朝礼の代わりになるものは特になく、代わりにダンスやプロム、優秀な学生を表彰するアワードイブニングやコンサートがあって、そういうときのためにドレスや靴が必要だった。

そういうのって、多種多様な人が一緒に働くアメリカ企業に必要な要素だったのだなと今分かる。オープン性とか、それぞれのライフプランに合わせて働ける代わりに、仕事はかなりキッチリするところとか、個人が遠慮なく集団の前に出て何かをズバズバ言うことが求められたりとか。

普通の日本の中学生だった私が突然入り込んだアメリカンスクールの高校生活は、なんだか大人で、色気があって、とてもではないが、自分のものにはできなかった。
英語が母国語の金髪の女の子たちが、ガタイのいい男の子たちと何やら楽しそうに笑いあったり、体を寄せ合ったりしているのを眺めて、別世界だなと思っていた。日本人の気があった数少ない友達と、いつも日本語で話して、あいつらスポーツができるだけなのになんで学校のヒーロー気取りなわけ?とルーザー丸出しの会話をしてなんとかしのいだ高校生活だった。それはそれで、仕方がなかったけれど、本当は、自由がそこにあるのに、自由を取り込めない自分たちのふがいなさにものすごいコンプレックスを感じていた。

だから、ここへきて、アメリカで、アメリカの企業に勤めて、アメリカの価値観が心地よいなと思うと、ようやくあの頃の自分を越えられたような気がするのだ。なんだかんだ、あの頃どうしても取り込めなかった「アメリカらしさ」の中で、普通に泳げていることが、変に嬉しい。
ESLだった自分が、あの頃「メイン・ストリーム」と呼ばれていた英語を普通に話すあの女の子や男の子たちと、結局は同じ会社で、こうして同じものに対して働きかけてるんだなと思うと、あの頃コンプレックスに溺れていた自分を励ましてやりたくなる。あの子らとあんた、何も変わらないから、もっと自信もって日本語でもいいから、できることやりなよ、と言いたくなる。


ま、とりあえず、価値観はいいとして、パフォーマンスもあげなきゃ、アメリカ的にすぐにクビになる・・・一生懸命働かにゃ。。。
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by akikogood | 2010-06-23 10:34 | アメリカ、エスニシティー

American Homeless

例年より温かい日が続いていた東海岸にも、ようやく本格的な冬がやってきた。先週には初雪が降り、温度計が0度以下を示すことも増えてきた。NYはイルミネーションがいよいよ美しい。

その一方で、厳しい冬に立ち向かわなければならない都市のホームレスの人々が余計に目に付くようになる。

オフィスの入っているビルの一階には、ベーカリーがあって、ストリートから窓ガラス越しにパンが見える。
その窓ガラスの前にじっと立ち中を覗き込むホームレスのおじさんがいることは、私の同僚たちは皆知っている。
そういえば最近見かけないねぇ、とか、あのおじさん、びりびりに破れたズボンこの前新調してたよ、とか、ふとしたときに「あのおじさん」についての小さな会話が交わされる。
誰かがパンとスープをあげているのを見たよ、と誰かが言い、皆で良かったねぇと言っている。
そういうことする人って、すごいよね、と誰かが言う。
うん、と答えたけれど、
実は私も働き始めたばかりの頃、あまりにもガラスの中を覗き込むおじさんの後姿が気になって、
あのぅ、パン、いりますか?と勇気を出して聞いた。
いや、いいです、と短く言われ、ほんとうに?ともう一度だけ聞いて、
再び同じ答えが返ってきたところで、OK、とビルの中に逃げるように戻った。
そのことは、なんとなく誰にも言っていない。

そのおじさんに、昨日の朝も会った。
6アベニューを、セントラルパークに向かって歩いていた。
7時過ぎ、気温は0度以下だったと思う。
パジャマのズボンの裏は両方とも破れて、後ろから痩せた太ももが露わになっていた。
背中を丸めて、頭が後ろから見えないほど垂れながら、大声で叫んでいる。
すれ違う人がギョっとしたようにおじさんを見つめる。

私はそのまま、後ろをだまって歩き、温かいオフィスのロビーに入った。

おじさんは、シェルターとかに行かないんだろうか。
シェルターも俗悪な環境だと聞く。不衛生で、ルールも何もないと。

このおじさんのように、もう長い間路上を彷徨っているホームレスの顔は、どの国の、
どの街角でも見かける。
渋谷の駅にも、テムズ川のほとりにも。

しかし、最近のアメリカのホームレス事情は、そんな「たまに見かけるあのおじさん」に留まらなくなっている。ご近所に住んでいた一家が、突然、家をオークションにかけ、明日から教会のシェルターに身を寄せることになる、こんなことが顕在化しているのが今のアメリカだ。ウォールストリートジャーナルにも、ニューヨークタイムスにも、アメリカ版「たまごクラブ」であるParentsMagazineにもそんなホームレス家族の特集が組まれている。シェルターも最大滞在日程数が決まっているから、転々と寝床を移さななればならないたくさんの家族の写真が、惜しげもなく堂々と掲載されている。

アメリカは、大恐慌以来の高い失業率を抱え、ホームレスになる人が後を絶たない。
11月の失業率は、10%と先月よりやや改善したものの、未だ高い水準のままだ。
失業率が改善されない限り、住宅ローンの未払いは解消されず、家の差し押さえ件数も上昇する。
差し押さえ件数は年末までに史上最多の390万件に達すると見込まれている。
サブプライム問題から拡大したクレジットクランチは、サブプライムの借り手であった低所得者のローン未払いが問題の発端だった。しかし、今のアメリカで見る住宅ローンの未払いは、サブプライムレンダーよりもずっと良い利率のローンの借り手であったプライムレンダーの層に見る率が高い。仕事がなくなれば、ローンが返せなくなるのは、10%の利率だろうが、20%だろうが、同じだ。サブプライム問題の真っ只中だった頃には、サブプライムレンダーが多く住むカリフォルニアに差し押さえが激増したが、今年に入り、差し押さえ率が65%も増加したのは、なんとミドル層の居住率が高いニュージャージーである。

差し押さえには多大なコストがかかるため、住宅を担保に取っている銀行の採算が合わず、ローンの返済が滞っているのにもかかわらず、差し押さえの状態になっていない住宅も多い。特に、低所得者が多く住む地域ではその問題が顕著で、法的に宙に浮いてしまっている状態の物件の存在が、地域のリセッション脱却を妨げていると、昨日FRBの理事長が発言していた。
水面下にある、こんな本来ならば差し押さえになるはずの物件を含めると、全米の住宅差し押さえ件数は膨れ上がるだろう。

新聞には、そんな差し押さえの実態を描く記事が次々と載る。
「あなたの家は差し押さえられたので、この日までに速やかに退去してください」」と宣告に行く係員が見た様々な人々の反応。彼らが泣き出したり、激怒したりする場面に幾度も出くわす。ドアを開けて中に入ると、自殺を図っていたケース、それから夜逃げ同然に、キッチンに食べ物を残したまま、住人だけがもういなくなっていたケース・・・

一方で、そうした差し押さえ物件は通常の売り家よりも当然安く買うことができるので、これらの物件に触手を伸ばすバイヤーもいる。夜のニュースでは、そうした「差し押さえ物件を買うときに注意したいこと」特集をしている。通常の場合、家を売りたければ、リフォームなりリノベーションをするが、差しそ押さえの場合はそんなアップグレードは見込めない。以前の状態が良ければ問題ないかもしれないが、中にはゴミ屋敷同然の状態になっていたり、退去する際に、怒ってわざと家の内部を破壊したりする人もいるという。「そんなケースもあるので、差し押さえ物件の購入を考える際は、必ず物件を隅々まで見ましょう!」とキャスターが明るくアドバイスをする。

最初、ホームレスになる、住んでいた家が差し押さえられる、ということは、どれだけ悲しくて、恥ずかしくて、悔しいことだろう、そんな思いをしてる人が、山といる状況は、やっぱり何かそもそもがおかしかったんじゃないか、と感情論でこの一連の住宅問題を見つめていたが、こうして差し押さえられる側と、差し押さえる側、両方の視点から見てみても、どうやらアメリカでの「住宅」への想いは日本のそれと違うのではないかと感じてくる。
農耕民族として、その土地に「根付く」ことで集団でコミュニティを発展させてきた日本と、個人が西へ西へと開拓史を進め発展してきたアメリカは、家や土地への想いが違うような気がする。
もちろん、家を失って感じる憤りや悲しさは万人に共通するところだが、日本人の自分からすればあまりにもあっさりと、「差し押さえ」が社会の中に存在して、キチンとそこには開かれたマーケットがあり、言い方は悪いが、払えないなら投げちゃえ的に、なんだかそれを利用している人までいるような気さえする。それはやはり、根底に土着への愛がないからなのかもしれない。そもそも「根付く」という言葉をあまり使わないアメリカには、「自縛霊」などという言葉もないではないか。言葉がないということは、発想がないということだ。

もちろん、問題の本質は、失意のうちに家を失い、ホームレスになる人が激増しているということで、ここはなんとしても、オバマ政権に雇用促進政策を願いたいところ。むしろ、今後数ヶ月の間に、雇用に改善が見られなければ、オバマ政権時期続行は期待薄だろう。
今後の雇用統計にますます注目が集まる年の暮れだ。
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by akikogood | 2009-12-11 09:42 | アメリカ、エスニシティー

ありがとうを食すサンクスギビング

今年もサンクスギビングが過ぎた。10キロ近いターキーを焼くのも今年で3度目。1年に1度しかしないことでも、3回やればなんとなくコツがつかめるようになるもんである。ターキーの中に詰めるスタッフィングも、結局伝統的なクルトンとソーセージをほぐしたものに落ち着いた。日本人なら、もち米と甘栗なんかにしてみるとおこわみたいになって絶対に好きなかんじだとどこかで聞きかじったのだが、3度目でまだ冒険はできなかった。来年かな。
今年のサンクスギビングは、ご近所に住むお友達と、クランベリーソースを交換しあって、そのついでにたこ焼きまで頂いたり、お隣のインド人の夫婦にパイをあげたら、お返しにスパイシーなインドの混ぜご飯を頂いたりと、我が家の食卓は七面鳥、たこ焼き、インドご飯が混在するものすごい豪華なものになった。今年もたくさんの人に助けてもらって、ここまで来られた。そのたくさんのありがたいつながりが、美味しいお料理になって、こうして食卓に並ぶのを見て、過去二回のサンクスギビングを思い出す。
まだ夫婦二人で、他には誰も知らなかった1年目。ターキーの焼き方も手探りで、クランベリーソースも初めて食べた。それはそれで、すごく楽しい作業で、二人で代わりばんこにオーブンを覗き込んでは、ソースをかけたんだった。
子どもが生まれて初めての去年のサンクスギビング。まだ息子もとっても小さくて、食卓を占領するターキーとどちらが大きいかな?!と比べてみたり。まだ離乳食も始まっていなかったから、結局大量の食事は夫婦二人だけのお腹に収まった。
そして今年、こうして息子を通じて知り合えたたくさんのありがたいつながりが、こんな風に食卓にも映し出されて、ひとつの命がもたらす拡がりを、改めて驚きながら、幸せに味わった。その美味しさは、今年はちゃんと一丁前に食べるようになった息子のお腹にもおさまって、ターキーごはんをもりもり食べるその様子に父ちゃんも母ちゃんも驚くばかり。15年後くらいには、一人で全部ターキーを平らげるようになるのではなかろうか・・・おそろしや。
そもそも、食料難だったアメリカ開拓時代に、ネイティブアメリカンからおすそ分けしてもらった食事にありがたや~と感謝を示すための祭りというのがサンクスギビングの由来。飽食の時代で、もはや食に感謝の気持ちを示す機会はめったにないけれど、感謝の気持ちを込めた食は、こんなにシンプルに、あたたかく、人をつなぐ。
みんなが方々からやってきて、家族も友達も、好きなところで好きなことをしているのが大抵のアメリカだからこそ、こうしてでっかいターキーを焼いて、今年もあなたがいてくれ嬉しかったよありがとうという気持ちをスタッフィングと一緒にその中に詰め込んで、みんなで食卓を囲むことが大切なのだろう。
巨大なターキーも、後日キチンと保存して、骨の周りはスープにすれば、全く無駄なく食べ終えることができるのも気持ちいい。伝統的な食事は、無駄がない。
夫が綺麗に掃除してくれたキッチンで、また玉ねぎとセロリを切って、ターキーのガラをスープに入れながら、今年もターキーを焼いて良かったと思った。
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by akikogood | 2009-12-03 20:28 | アメリカ、エスニシティー

ごめんねアリシア2009

8月から働くことが決まった会社の人事部と事前に電話でやりとりをしていた。
電話の向こうから聞こえる声は、よく見かけるチャキチャキした白人のおねえさん、
というかんじの声。
OK,という声が短く、高い。
必要書類をまとめて提出する日程を決め、電話は終了した。

いざ会社に出向き、受付で彼女が出てくるのを待っていると
ドアの向こうからは体格の良い、ジェニファーハドソンっぽい黒人のおねえさんが出てきた。
この銀行で黒人に会うのは、受付のガードマンやレセプショニストを除いて彼女が初めてだ。
握手のための手を差し出し、名乗ってくれる。
確かに彼女が電話で話した本人のようだった。
そのときは、へぇ、そっか、黒人だったのか、くらいにしか思わなかった。

事務手続きはすぐに終了し、またエレベーターホールのところまで送ってくれた。

なぜだろう、今になって思えば本当になぜそう言ったのか分からない。
それは、前日に息子が夜泣きをしていてあまり眠れなかったせいで
ぼおっとしたままで行ったせいだったのか、
それとも思ったよりも彼女があまりにも淡々と用件を済ませているかんじで
つながりが見えず、ブレイクスルーが欲しかったからなのか、
とにかく、何も考えていなかった。

「電話のかんじでは、思いっきり白人なのかと思った~」

彼女は「あ、あぁ、よく言われるわ、電話では話し方のかんじが違うって」と軽く返事をした。

エレベーターのボタンを押す。

「そうなんだ、でも名前はアリシアだし、不思議だなぁって思ってたの。」

ミュージシャンのアリシア・キーが有名だが、黒人の間では割と人気のある女の子の名前だが
もちろん白人にもある名前だ。

少し彼女の表情が硬直したような気がした。

すぐに握手をさしだし、お会いできて良かったわ、という言葉に私はエレベーターに押し込まれ
彼女と別れた。

エレベーターが下るのをかんじながら、すぐに、まずかったかな、と思った。
寝不足のせいで体が重い。
ビルを出ると、外は雨が降り出していた。


家に戻り、夜のニュースを見ていると、ハーバード大名誉教授が間違えて逮捕されてしまった
事件がとりあげられていた。
アフリカン・アメリカンスタディーズで権威のゲイツ氏は、自宅の鍵を忘れて
裏庭の窓から家に入ろうとしていたところ、強盗と間違えられ逮捕されてしまったのだという。
著名人である彼が、そこは自宅だと主張したにも関わらず
有無を言わさずに手錠をかけられ、犯罪者として写真まで撮られるに至った経緯を
オバマ大統領までが「馬鹿げている」とコメントするまでになり、
警察を「バカ」呼ばわりした大統領のコメントに対して論争が起きている。
それはともかく、Racial Profileと呼ばれるこの手の「人種論争」は
「差別」と「非差別」の微妙なラインを行き来して、それはアメリカ人以外の人にとっては
あまりにも無意味な戦いのようにも見える。

この事件については、ゲイツ氏が黒人であったというところがポイントで
「『黒人』が立派な家の裏庭から室内に入り込もうとしている」という状況を見た際に
とったとっさの行動が、人種差別に基づくものだったと非難が集まっているのだ。
たとえば、それが白人であったなら、本人が自宅だと主張した場合、きちんと裏づけがされ
いくらなんでも突然手錠をかけたりするようなことにはならないだろう、というわけだ。

逮捕をした警官は白人だったわけだが、自分が人種差別をしていたと自覚があったのだろうか。
それは、彼の警官としてのキャリアや経験から導き出された「傾向」だったのかもしれないし
そのような「傾向」すら考えず、とっさに取った警官としてはプロフェッショナリティに欠ける
行動だったと考えるのは、やはり人種問題に甘すぎる考え方だろうか。

そんなニュースを見ながら、自覚的な差別と、無意識の行動が導いた人種的な行動が
差別としてとらえられる微妙なラインについて考えた。
深く考えなくても、今日私が昼間アリシアに言った言葉は、
人種的なもので正しいものでなかったことは簡単に理解できた。

夫に話すと、当然、叱られた。
「キミがしたことは、彼女の教育のバックグラウンドと、一生懸命に働いてきた経験そのものを
侮辱する行動だった。
そもそも、『白人らしい話し方』って何?オバマは『黒人らしく』話していると思う?」

確かに、そうなのだ。
オバマは「黒人らしく」話していないし、アリシアも違った。
それは、無意識の想像であり、予想であり、声や抑揚のつけ方、言葉の選び方から
勝手に私は彼女を白人だと思い込んだのだ。
おそらく、ゲイツ氏を逮捕した警官も。

「思い込み」は経験や知識、傾向の積み重ねから作られるわけだが、
それが「差別」になるのはどこからなのだろう。

夫は続けた。
「そもそも、彼女の名刺を見たとき、僕は彼女がアフリカン・アメリカンだと分かったけど。」
アリシア、という綴りを見て、彼は彼女が黒人だと「分かった」と言う。
けれど、その綴りの名前を持つ白人だっているだろう。
彼だって、人種的な思い込みをしているではないか。

そんな風に手当たりしだいに考えれば、この世の中は人種的な思い込みに溢れている。
バスの運転手は私に「謝謝」と言ってくるし、
この前餃子の作り方を中華スーパーで聞いてきた黒人のおばちゃんに
「私は日本人で日本風の餃子しか知らないけど」と言うと
「(そんな違い)どうでもいいわよ」と言われた。
アジア人の女性が持つ仕事と言えばネイルサロンかマッサージパーラーと思われるし
(NYにたくさんある)
そういえば留学時代は大学のパーティーで
「日本人の女はアメリカ人の男のデカイのが好きだよな」とまで言われたことがあった。
(酔っ払っていたにしてもあれはひどかった。)

でも、適当にやり過ごしてきた。
「謝謝」にはある日、「ありがとう」と切り返し、
餃子のおばちゃんには親切にレシピを教えて「餃子作りたのしんでねー」と言い去り
ネイルサロン云々は無視である。
私にとって、自分が立ち向かう人種的な思い込みや差別は
歴史がない分、むかついてもやり過ごせるものなのかもしれない。

しかし、歴史があり、そこに闘いがあった分、アメリカでの特に白人と黒人の間における
人種的な軋轢はいまだプレッシャーが抜けない。
やり過ごせない、のだ。

結局、アリシアの件は翌日になり人事部のマネージャーから連絡が来てしまった。
今後自分のポジションがクライアントと接することを考えると
もっとセンシティブになる必要があるとのことだ。
当然のことだ。

しかし、アフリカン・アメリカンと結婚までして、
人種として彼らが歩んだ歴史や、いまだ残る社会的な人種問題には
通常よりも知識があり、距離が近いと思っていた分、とても落ち込んだ。

彼女に個人的に謝罪のメールを入れたいと申し入れたが、
人事部はこれは個人的なこととしてはすでに解決しているのでその必要はないとのこと。
ますます落ち込む。

アリシアの心の中に、私の心無い言葉がトゲとして残っちゃったと思う?と夫に聞くと
「Nah, she's been through so much more
and I think she just moved on.」とのこと。

嬉しかったのだ、これから働く会社で初めて「シスター」に会えて。
私の家族は、半分アフリカンアメリカンですよ、というボトムラインがあった。
私はあなたにとって、他の日本人よりもちょっと距離が近いはずですよ、
というメッセージを出したかった。
なのに、結果として、彼女に「また意味のないムカつきを経験しなきゃいけなかった」と
思わせるような言葉を投げかけてしまった。

夫は言う。
「彼女が良い人でよかったよ。他の人ならもっと正面切って啖呵を切られたかもしれない。」
人事部のマネージャーは言う。
「彼女だからまだ良かったけれど、クライアントだったなら問題になっていたかもしれないから。」

はい、はい、と落ち込んだ声で答えながら、恥ずかしい気持ちでいっぱいだ。

ごめんね、アリシア、傷つける気持ちは全然なかったのです。

Hope it doesn't stay in your heart.
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by akikogood | 2009-07-26 12:08 | アメリカ、エスニシティー

アウト・オブ・コントロール

今日はいつも行っているプレイグループの日でお友達のお宅にお邪魔したのだけど、
ショッキングなことがあった。

お昼をたらふくご馳走になって、息子が眠たそうにしているので寝かしつけようと
抱えてカウチに座ったら、なんと自分も息子と一緒に眠ってしまったのだ。

実は、最近プレイグループに行くとたまらなく眠くなることがあって
どうしたもんかと思っていたけれど、実際寝たのは初めてでかなり恥ずかしかった。
その間、少し年長の子どもたちと他のママたちはお外でお水遊びをしていて
家の中には誰もいなく、モクレンの木の大きな陰の下の涼しいお宅で
息子と二人、小一時間爆睡した。

たまらない眠たさだったのだ。

そんなに疲れているのか・・・

実は今朝夫が出勤した直後に停電が起きたらしく、
電源がなくなると自動的に作動するようになっているホームセキュリティのアラームが大音量で響き渡った。
もちろん息子は怯えた目でキョロキョロしているし、いつ警察が来るか分からないので
即刻止めないといけないのだが、止め方が分からない。
それで電話をかけてみると電話が不通になっていたので初めて停電していることがわかり
さらにパニックになった。
それで携帯をパカっと開けてみると、なんと今日に限ってバッテリーがない。
オロオロしつつ、朝7時前からインド人のお隣さんのところに転がり込み
どうやらこの辺一帯全て停電している事実を知る。
結局、警察が来るように設定されていたアラームは何故かすぐに止まったので
家に戻るが、アラーム設定の異常を知らせる結構うるさいビープ音は鳴り続けたままだ。
9時過ぎに停電が解消されるまで、セキュリティー会社に電話ができず、
それまで鳴らしっぱなしにしておくしか術がなかった。

そんな珍事が朝にあって、血圧がギュンギュン上下する午前中だったからかもしれない。

考えてみれば、アメリカで暮らす、海外で暮らすということは
こういう「統制不可能」なことに日々直面して、
マニュアルなしの解決法で潜り抜けてゆくということなのだ。
まず、育児自体が人間相手の24時間体制で、
何がいつ起きるか分からない状況と常に対峙することで
きっと全てのお母さんは、そんな潜在的にいつでも「統制不可能」なことに向き合う心構えでいる。
けれど、こういうダブルの「統制不可能」に体当たりし続ける毎日。

日本は特に、いかに色んな事柄を自分の統制下にしいていくかということを求められる国だと思う。
だから電車もぴったりやってくるし、遅刻する人もドタキャンする人も少ない。
慣れるまでは大変かもしれないけれど、一度身に付いた統制力っていうのは
毎日をスムーズに動かす促進力だと思う。
それと全く反対のこと、つまりいかに統制不可能な状況に柔軟に対応できるかという能力が
求められるアメリカでの生活は、自由だけど、
こういう小さな異常が多くて、だから疲れるのかもしれない。

そんな中、参加させてもらっているプレイグループは全員日本人のママで、
この人たちは私を傷つけない、
この人たちは私を異常事態に陥れないと、それだけを知りながら
おいしく塩おにぎりとひじきなどいただいていると、
もうそれはものすごい安堵感なのだ。

それは、きっと毎日知らないうちに張っている緊張の糸が
ふっと緩む時間で、
子どもの頃おばあちゃんのおうちに行って、そこには切ったスイカと扇風機が回っているような
そんな安心感にも似ている。

そんな安心感の中、子どもたちが外で水遊びをするのを遠くのほうで聞きながら
息子を抱っこして眠ったあの午後のひと時は、なんだかとても柔らかく、温かかった。

さぁ、明日からもまた頑張ろう。
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by akikogood | 2009-06-30 10:54 | アメリカ、エスニシティー

ママ雑誌

日本から南遥かに5000キロ離れた常夏の島にいたもんで
私には縁が全く無かったわけだが
何を隠そう、私たち世代はギャル全盛世代である。

渋谷は女子高生のメッカ、
女子高生という単語は、女子の高校生を指すのではなく
あるブランド観を設立していた。
どんなにお金を出しても買えないブランドだが
ただただ一応10代であるということ、
一応女であるということ、
そんでもって一応制服らしきものとルーズソックスを履き、
頭にお花を付けて、プリクラを撮っておれば
なんとなくそれらしきものになれるという
限定的な一方で結構あやふやな境界線で
巷には女子高生をターゲットにしたビジネスがあふれた。

しかしいまやそのギャルたちもアラサー。

こんな雑誌が創刊されたらしい。

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気になるコンテンツは・・・

「ママとちびコのスナップ祭り」
「シーン別おソロスタイル 完璧BOOK
・・・パーティー ママ友 デート ショッピング デート 里帰り」
「あのママがあんなにキレイなわけ」
「産む前よりもヤセましたランキング]

そんでもって、ヘッドには

「オンナもママも全力で楽しみたい 最強ママBOOK」



コンビニにあったら間違いなく立ち読みする。



ちなみに、アメリカのマミー雑誌といえば・・・

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コンテンツは
「マミーにとってのベスト100会社」
「NOと言えないあなたに」
「彼女はこんな風にやっている-投資銀行で働く10ヶ月のベビーのマミー」
「エグゼクティブママ」
「HOT MAMA 働くママとセックスの全て」

・・・シビアである・・・

はぁ。
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by akikogood | 2009-02-24 21:29 | アメリカ、エスニシティー

目玉のオヤジのソウルフード

国際結婚したんだなぁ~と一番思う瞬間とは?


「さくらんぼ"cherry"」を買ってきてと頼んだら「チリソース"chili"」かと思われたことではなく
子どもの頃見たテレビアニメなんかを共有できないことではなく
それは大抵食卓の上か台所の中にある。

日本からはるばる妹が持ってきてくれた干し芋や明太子
日系スーパーから張り切って買うお魚や納豆の素晴らしさを共有できない、
これは多くの国際結婚カップルが抱えるちょっと寂しい瞬間だ。

けれど、きっとそれは彼の方も感じているはず。

なぜうちのワイフはラザーニャやスパゲッティーよりも
家の中がくさくなる得体の知れない魚なんかが好きなのか。
そもそもあの納豆とかいう物体は存在すら許せるものではない。
日本は大好きだけれど、あれを最初に食おうと思った日本人は一体どんな理由があったのか。
アメリカ的に裁判所で問い詰めたい。

人の良い彼はそんなことを決して(?)言わないが
きっと胸の中にはそんな想いを悶々と抱えるときもあるだろう。


だもんで、ドミノピザやスパゲッティーだけのディナーはちょっと勘弁だけれど
せめてアフリカンアメリカンの誇れる食事、
ソウルフードくらいは作ってあげたい
なーんて妻らしいキモチをちょっとくらいは思ったりするのだ。

ハーレムにある名店、Amy RuthやSylvia'sのソウルフードは
たまにものすげ~食べたくなって、一回食べたら心臓病で死ぬんじゃないかというくらい
こってりしたマッシュポテトやチキン、リブ、マカロニチーズなんかを
ガッツリ食べて、もう2ヶ月は食べたくない・・・と無言でハーレムを去るのが通例だ。

でも、ブラックのご家庭ではビッグなMAMAが腕をふるって作ってるだろう
ソウルフード、作ってみたいじゃない。
いいじゃない、ニッポンジンなワイフが作ったって、最終的な味付けは愛じゃない。

なーんて。。。。

ほうれんそうの4倍くらいある無意味にデカイ野菜、
カラードグリーンはとりあえず野菜が不足気味なアメリカン食生活の強い味方だ。
しかし、こいつ、まずい。
ありえないほど、マズイ。
一度目に作ったときには煮込み時間が足りなくて、渋い、苦い、マズイで散々だった。
アクが強いのだ。
だから、作るときは延々と時間をかけて作る。
作るったって切って鍋に入れて煮るだけなんだが。

塩、ビネガー、ガーリックと一緒に延々2時間半くらい煮込めば、
美味しいグリーンズの出来上がり。

このグリーンズと一緒に大晦日の夜に食べれば
幸運、金運が舞い込むと言われるのはブラック・アイド・ピー。
その名の通り、お目目の模様が付いているお豆だ。
日本人が見たらどーしても、目玉のオヤジを連想してしまうが仕方がない。

乾燥した目玉のオヤジは袋詰めにされて売っているので
これを大きなお鍋にあけて、チキンストックでもって
ハム、ガーリック、月桂樹、塩、コショウ、クローブ、ビネガーを加えてこれまた2時間ほど煮る。
目玉のオヤジは見かけは可愛くないが、かなり美味である。

そもそも、ソウルフードは奴隷時代に白人らが食用としなかった肉の部位や
硬くて食べにくいとされていた野菜をどうにかしておいしく食べようと
知恵を絞った奴隷たちの食事に由来する。
だから、グツグツ長時間煮てアクを抜いたり、
殺菌作用も兼ねて高熱の油で揚げたり
多くのスパイスや調味料を加えて味を濃くするのが慣例だ。

そうして、アメリカでは骨の周辺の肉や臓物
つまりチキンなら手羽先や砂肝、豚ならリブや豚足などといったパーツは
元来奴隷が食べるものとされていて今でもスーパーで売られている
そういうお肉の部位は値段が安い。
日本人からすれば、そんなところがいちばん美味しいんじゃないの!というところだけれど。

もうちょっとあっさりヘルシーに食べられれば良いんだけど
なんせ油とカロリーが多すぎる料理がほとんどのソウルフード。
そりゃ黒人の間で糖尿病や肥満が深刻化するわけだ。

そんな中でもオイルフリーでおいしく手軽にたくさんお野菜を食べられる
グリーンズとブラックアイドピーの煮込みはよくやります。

ああ、今夜も鍋ん中に目玉のオヤジが大量に入浴中・・・



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目玉のオヤジin bag
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by akikogood | 2009-01-09 08:22 | アメリカ、エスニシティー

2008/11/04

テレビでは、たくさんの人々で混み合ったタイムズスクエアやシカゴ、
ハーレムやアトランタの教会が中継されていたけれど、

どれだけの人々が、私たちと同じよう
自宅でその瞬間が訪れるのをテレビの前で待っていただろう。

どれだけの母親が、腕の中に何も分からず眠る赤ん坊を抱えながら
どれだけの父親が、昨日失くした仕事に頭を悩ませながら
どれだけの年寄りが、半世紀前の人種差別の記憶を脳裏によぎらせながら
どれだけの兵士が、異国の空の下で遠い我が家を思い浮かべながら
どれだけの移民が、この国に訪れるだろう未来への希望を感じながら
そしてどれだけの子どもたちが
歓喜の涙を流す大人たちの横顔を眺めながら

その瞬間を迎えただろう。

アメリカの人種差別の歴史に織り込まれた黒人たちにとっては
間違いなく信じがたいような歴史的瞬間だったろう。
けれど、人種差別の歴史を生きたわけでもなければ、黒人でもない、
アメリカ国籍すら持っていない、ただ、この国でこの国の人々と暮らす自分ですら
彼の一言一言にあれだけたくさんの、異なった人々が頷き合い、抱き合い、喜び合う姿に
涙をこぼさずにはいられなかった。

アメリカで、アメリカ人と共に生きてゆくことは
時に信じられないくらい厳しく、冷酷な現実と直面することで
日本に住んでいては考えられないような喜怒哀楽の揺れ幅がある。
特に現在の経済状況は切ないほど厳しく、
ホリデーシーズン前という華やいだ雰囲気には程遠い。
けれど、だからこそ、やればできる、変化が待っている、というオバマからのメッセージに
どれだけたくさんの人々が励まされたろう。

バックグラウンドや、人種性別に関わらず、
私たちは誰でも成功と繁栄を手にすることができる。
そして、隣にいる人が、例えば自分が生まれた場所の地球の裏側で生まれたような
全く異なる人生を歩んできた人であったとしても、私たちは手を取り合って
同じ涙を流し、喜びを共有することができる。
そしてそれを当たり前のように毎日の小さな一場面の中で実現している国
それがアメリカだと、それがアメリカの基となる誇りであると
オバマは説いた。

悲しい事件や争いが多すぎて
ディズニーランドの「イッツ・ア・スモール・ワールド」の中でしか
理想を見ることができないような
そんな時代だからこそ、
こうして一国のリーダーが威風堂々と当たり前に大切なことを表現すると
みんなの顔が一瞬で輝いたようになる。


オバマ当選のニュースから一夜明けた今日も
まだ「オバマジック」は解けていない。

朝、日用品のデリバリーが来たのだが、荷物をキッチンまで運んでくれた
黒人のおじさんとおばさんは、ドアを開けた瞬間からニコニコしていた。
息子を見るとますますにっこりして、顔を覗き込みながら
「あなたもいつか大統領になれるわね」と言ってくれた。

夫からは昼休みに電話がかかってきた。
「なんだかウォールストリートの様子が違うんだよ。空気が軽いっていうかね、明るいんだよ。」

友達はニューヨークで一番大きな駅であるペン駅の様子のことを
「見間違いかと思っちゃうほど、雰囲気が違ったよ。みんなの顔が幸せそうなの!」
と教えてくれた。

みんな、夜遅くに流れた当選のニュースと演説を聞いて、寝不足のはずなのに
幸せな顔で新しい朝を迎えたんだろう。

たった一人、新しい大統領に選ばれただけでこれだけの変化が訪れるなんて
それだけですごい。


それにしても、大変なのはここからだ。
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by akikogood | 2008-11-06 12:58 | アメリカ、エスニシティー