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クロッカスの坊や

ニュージャージーで最初に春の訪れを告げる花は桜ではなかった。

木の根元などに小さく薄紫色の花を咲かせていたのはクロッカス。

まだ色のない景色の中、そこだけほんわりと春色に色づいているのを
ストローラーに息子を入れてお散歩している最中に見つけて
長かった冬がようやく終わるのを知りどれだけ嬉しかったか。

ところで、この花の名前を知ったのは、はるか昔小学校1年生のときだったと思う。

国語の教科書の中に、『ぼくにげちゃうよ』という可愛らしいうさぎの話があった。
うさぎの坊やが、お母さんうさぎに
「ぼくにげちゃうよ」と言えば
お母さんうさぎは坊やに「あなたが逃げるのなら、お母さんは追いかけますよ」と言う。
坊やが、「僕は逃げて雲になっちゃうよ」と言えば
お母さんは「あなたが雲になるのなら、私は風になって、あなたを私の方へ吹き戻すわよ」と言う。

そうやって、坊やとお母さんの追いかけっこが繰り返される中に
「じゃあ僕は逃げてクロッカスの花の中に隠れちゃうよ」と坊やが言い、
お母さんが「じゃあ私はお庭に出て行ってあなたを見つけますよ」というようなくだりがあり
それは可愛らしいクロッカスのお花の挿絵があったのだ。

小学校1年生の初めての教科書のにおいと、教室の中に沸き立つ新鮮さを今でも覚えている。
そんな小さい心ながらに、お母さんと坊やの追いかけっこはほほ笑ましくて、大好きなお話だった。
当時は教科書の音読が宿題だったけれど、私の母もその音読を聞くのがとても嬉しそうだった。

そうして知ったクロッカスの花に、
自分の息子が生まれて初めての春に出会えるとは当時は想像もしなかった。

お母さんとぼうやの果てしのない愛らしい追いかけっこを思い出しながら
クロッカスの花から伝えてもらった春だった。


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by akikogood | 2009-05-09 06:46 | レビュー

寒さの中で思うこと 『貧民の帝都』レビュー

カナダから流れ込んでくるという「北極寒気」で週末の東海岸は恐ろしく寒かった。
マイナス20度などという気温は、普通の日本人の私は経験したことがなく
初めて触れたその冷気というよりは凶器にシンプルに危険を感じた。

耳など外気に触れている部位が痛くなるのが大体零下5度以下だが
このくらい寒いと息を直に吸い込むことさえ危ないような気がする。
肺に突然零下20度の空気を入れてはいけないと直感的に体が知っているかんじだったので
マフラーのしたで小さく息をするようにした。

10分以上動かずにいれば体に支障をきたし始めるだろうこの寒さの中、
ニューヨークの路上に暮らすホームレスの人々はどうしているのだろう。
そう考えていたら、ニューヨークでは路上生活者は冬は必ずシェルターに
行かなければならないという規則があるのだと夫が教えてくれた。
路上にいると警察官がやってきてシェルターに連れて行かれるらしい。

日本からやってくると、アメリカは貧困者に優しい国だと思う。
優しいというか、寛大と言う言葉がもっと的確かな。
(ま、アメリカ全般、なんにでも寛大だ。)
シェルターの規則のほかにも、コートや衣類の寄付、貧しい子どもたちへの
おもちゃの寄付などたくさんの寄付の機会があり、
日常生活の中で普通にみんなが寄付を行う。
大したことではなくて、サブウェイの中でも、道を歩いているときでも
ホームレスの人に小銭をあげることも普通だ。
その1ドルなり25セントなりが、ドラッグに使われようと、ピザを一切れ買うのに使われようと
気にする人はあげないし、そういや今日は気分が良いからあげるといった具合。

レストランでたらふくランチを食べて出てきたところで
はらぺこです、小銭を恵んでくれといわれ
お金はキミが何に使うのか分からないからあげたくないけど
このデリでピザおごるよと、そのホームレスとデリに入った。
そうしたらそのやりとりを見ていたデリのにいちゃんが、
一枚無料のスライスを付けてくれたよ、と夫が嬉しそうに話してくれたことがあった。
フツーの人でも、このくらいの助け合いはニューヨークでは普通にある。

こちらに来たばかりの頃は、その普通がなかなかできなくて、
でもある晴れた6月の日曜日、ハーレムにある教会に行く途中のサブウェイで
小銭をくださいと車両を周っていた老人に1ドルを勇気を出してあげたら
God bless youと心のこもった声で言われて、
シンプルに自分のしたことで誰かと自分がちょっと温かくなれた気がした。

塩見鮮一郎氏の『貧民の帝都』(文春新書2008年出版)を読んでいると
日本がいつからホームレスに残酷な国になったのか理解できる。
江戸時代までは日本にも貧しかったり障害がある人のためのシェルター(養育院)があった。
仏教の教えから農村部でも身寄りの無い老人を軒下に住ませるくらいのことは
自然に行われていたという。
しかし明治維新と一緒に政府が行った改革の中でいつしか
貧しさは自己責任によるもの、「働かざるもの食うべからず」という考え方が埋め込まれ、
貧民補助機関は一部の個人やキリスト教やマルクス主義の団体運営によるものしか
姿が見えなくなった。

六本木ヒルズに青山一丁目から向かう途中にトンネルをくぐる。
このルートはヒルズにオフィスのある社員の通勤ルートで
それこそ今はなきリーマンブラザーズや、ゴールドマンサックスなどの社員が
そのトンネルを朝夕通る。
当時天まで届くような数字の年収をもらっていたであろう彼らは
毎朝、毎夕、そのトンネルの中で寝起きする彼の前を忙しく通り過ぎていた。
クリスマスも、お正月も、空いた缶を一つおいて、ダンボールの上で寝ていた彼。
私は空っぽの缶からを毎朝眺めながら、その前を通り過ぎるだけだった。
どうして100円が出せなかったんだろう。

おにぎり2つを盗んだからといって逮捕されたり、
所持金がなくて餓死している人が見つかったり
一部の日本は日本ではないみたいだ。

貧しくて食べ物がないとか、住む場所が無いとか、寒さから逃れられないというのは
キリスト教ではsin(罪)だという。
私はキリスト教徒ではないけれど、そういうのは人間の最低の尊厳で
そういうものを守ってあげようというのはマルクス主義者でなくても
キリスト教徒でなくても、理想主義者でなくても、誰の心の中にもあるもののはずなのに
なぜ遠くアフリカの貧民を救うことにためらいがなく
震災が起きた人々を救うことにもためらいがなく
世界一豊かな国の人々が目の前の路上で暮らす人を
同じ人として見ることが難しいんだろう。

窓にこびりつく寒さをよそに、半そでで暖房が入った家の中で
昆布だしでつくった鶏鍋なんか食べちゃって、家族もみんな元気で
大してお金もないけどなんか幸せ、と思う心のどこかで
トンネルの彼を思い、トンネルを抜けられていることを祈った。
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by akikogood | 2009-01-20 13:08 | レビュー