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最強マザ筋トレーナーたち

8月からの仕事復帰を目前に、今日は最後のプレイグループの日だった。

思えば、息子が2ヶ月の頃に仲間に加えてもらってから、
人数やメンバーが少しずつ変わったりしながらも継続的に毎週参加させてもらった
プレイグループだった。

年齢やバックグラウンドは様々、アメリカにやってきた理由もそれぞれだったけれど
子どもがいるという理由だけで日本人のつながりや
日本語でのふれあいを大切にしたいという想いを持ったお母さんたちが集まり
毎週子どもたちと一緒に過ごす時間は、私と息子にとって本当に貴重なものだった。

ただでさえ孤立しがちな育児生活を、こんなに楽しくにぎやかに楽しめたことを
心から有難く思う。

初めての育児で、右も左も分からず、しかも海外、どれだけ心細かったことか。
一度通ってしまえば、ハッキリと見える道なのに
初めて通るその道はどちらを見てもぼんやりとしていて
そんな道を明るく照らしてくれたのがプレイグループのお友達だった。

私の場合、アメリカ生活も育児も主婦も、全部初めての経験だったので
それらを全部ひっくるめてサポートしてもらえたこのつながりは
むしろ息子のためというよりも自分のために不可欠なものだった。

仕事に復帰するにあたって、ベタに勝間和代の著作を少しかじってみたが
その中で彼女が育児は女を強くすると言っていた。
どんなに仕事がうまくいかなかろうと、パートナーと上手くいかなかろうと、
子どもに服は着せないといけない、ご飯を食べさせなければいけない、
トイレに連れて行かなければいけない、
つまり、育児はしなければいけないものだ、と。
そうして感情や喜怒哀楽に惑わず、とにかく毎日人間を相手に愛情を持ってしなければ
いけないことがあるということは、知らないうちに心の筋肉を鍛えるようなことだ。
そうして知らないうちに時が過ぎ、ふと振り返ったときに子どもは育っており
自分には強くなった心が残っているのだ、と。

文章を読んで励まされた。
確かにその通りだと思う。
だけど、そうして自分で自主筋トレが誰でもできるほど
子どもを育てることは簡単ではないのだ。
最初に、やはり最低限の強さやコツ、サポートがある程度はきっと必要で、
そうしてようやく最低限のセットアップをこなせるようになって、だんだん難易度が増す。
上手く子どもとレベルアップしていければいいけれど、きっと成長曲線はまっすぐではなくて
一緒に泣いたり悩んだりする山や谷がたくさんある。

私にとって、そんな最初の山場を一緒に乗り切ってくれた仲間が
プレイグループの友達だった。
まだふにゃふにゃのマザーマッスルしかなかった私に
彼女たちはものすごく自然なかたちで補助を与えてくれて、
そうして楽しんでトレーニングを重ねるうちに、
あれ、自分はいつの間にか加圧トレーニングをしてたのかなと思うほど
私のマザーマッスルは強くなった。
それはいつも抱っこをする腕っ節の話だけではなくて、健全で明るいマザー根性を作るに
欠かせないものだった。

赤ちゃんが泣いてはオロオロし、ちょっと咳込んでは真っ青になっていた初期だったけれど
泣いても死にゃぁしないわよ、とか今日はお咳が出てるね、とか
ちょっとした誰か他の人からの安らかな声やちょっとした気付きに
どれだけ助けられたことだろう。

この数ヶ月、息子の成長は本当に目覚しいものがあった。
人生の中でこんなに著しい変化を目の前で見たことはなかった。
そんな奇跡のような人間の変化、成長を一緒にたくさんの赤ちゃんとお母さんに囲まれて
共有できたことを心から幸運に思う。

きっと本来お母さんと呼ばれる人は自然に兼ね備えている
素敵なものが、全部ひっくるめてそこにはあったと思う。
優しさや賢さ、育児や生活のちょっとした工夫や知恵、
愛情を持って子どもに接する細やかな時間を
たっぷりと私は分けてもらって、
最初は想像すらしなかったそれらは、
気がつけば自分の中でそれらはこんなにイキイキとしている。

また、新しい時間が流れ出す。
みんなと定期的に会えなくなるのは寂しいけれど、
加圧トレーニングの結果は抜群だった。
たくましくなったマザー筋で、新生活の重力にもきっと耐えられるさ。

みんな本当にありがとう。
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by akikogood | 2009-07-29 12:38 | 育児日記

おっぱいライフ終了 (後日追記あり)

入社日を1週間後に控えて、とうとう断乳することに決めた。
生まれてから約11ヶ月、結構楽しんだおっぱいライフだった。
ああ、もうあの可愛い顔が見られないのかと思うと寂しいし
あのなんともいえない一体感を味わえないのかと思うと悲しい。
ついでに、
「おっぱいあげてるからね~」の一言と共に添えられるエクストラのお菓子やごはんも
さすがに食べ続けたら如実に体重に現れることになるだろう。
ああ残念。
ああ無念。
あっという間の11ヶ月だったな。

「おっぱい」が「胸」でセクシュアルなものだった頃のことなんか忘れてしまった。
よく授乳しながら寝てしまい、おっぱい丸出しで寝てるなんてザラだった。
子どもが生まれる前までは、セクシーランジェリーを一生懸命探したもんだったのに・・・(遠い目)
ついにブログにまで堂々書けるまでになって、
これを読んでる男性諸君もついに、
ああ、あいつもとうとう「人妻」レベルから「かあちゃん」レベルに昇華しちまったんだなと
残念がってくれることだろう。

それにしても、授乳しなくなってもおっぱいは勝手に母乳を作り続けるので
胸が張って痛くてしょうがない。
まるでその痛みは、おっぱいが感情を持って
「もう飲んでくれないの~~もうベイビーの栄養になれないの~~~悲しいよ~」と
まさに私の胸を張り裂けんばかりにしているよう。

最近読んだ本の中で、
女性の生理痛や生理中のブルーな気持ちは、
実はそれぞれの卵子が感情を持っていて
ある卵子は絶対的な意志を持って
「絶対精子とつながってやる~~~着床してやる~~~」と張り切って卵管を出てくるのに
結局誰にも出会えず、空しくトイレに流されていて
その卵子の悲しみが移るからかもしれないとか書いてあって
笑ってしまったが、案外女性の体と心は、そうやって一体感を持っているに違いない。

その証拠に、先日、ようやくおっぱいなしで寝かしつけ、
その寝顔を眺めていると、まだ生まれたばかりの頃の横顔を思い出した。
大きくなったなぁと思うのと同時に、まだまだ赤ちゃんだなぁとしみじみ思い
これから長い時間は一緒にいられない日々のことを考えると
なんだかじんわり涙が出てきた。
・・・と濡れているのはなんと目元だけではないではないか。
なんと胸元も濡れている。
おっぱいが泣いている!?
子どもが泣いているのを聞くと自然に母乳が出てくることがあるほど
母性が強い人がいるとは聞いていたが、なんとまぁ、考えただけで母乳が出てくるとは!
まさにこれ、おっぱいの涙。

せっかく作ったのに、もう飲んでもらえないおっぱいは
なんで~?なんで~?いつもの可愛いベビーは?とうろたえ、戸惑っているに違いない。
ごめんよ、おっぱい。
そして、ごめんよ、息子。
母ちゃんの勝手な都合でね・・・

でも、学習するのだ、おっぱいも息子も。
そして、すぐに慣れ、すぐに忘れてしまうのだろう、おっぱいの記憶など。
そんな柔軟性があるからこそ、私たちの体はいろんなことができるようになっているのだ。
そして、おっぱいなんて飲んでたっけ?
おっぱいなんか作ってたっけ?
という具合に、どんどん時間が過ぎ、そこにはまた当たり前のような毎日があるに違いない。
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by akikogood | 2009-07-26 12:45 | 育児日記

ごめんねアリシア2009

8月から働くことが決まった会社の人事部と事前に電話でやりとりをしていた。
電話の向こうから聞こえる声は、よく見かけるチャキチャキした白人のおねえさん、
というかんじの声。
OK,という声が短く、高い。
必要書類をまとめて提出する日程を決め、電話は終了した。

いざ会社に出向き、受付で彼女が出てくるのを待っていると
ドアの向こうからは体格の良い、ジェニファーハドソンっぽい黒人のおねえさんが出てきた。
この銀行で黒人に会うのは、受付のガードマンやレセプショニストを除いて彼女が初めてだ。
握手のための手を差し出し、名乗ってくれる。
確かに彼女が電話で話した本人のようだった。
そのときは、へぇ、そっか、黒人だったのか、くらいにしか思わなかった。

事務手続きはすぐに終了し、またエレベーターホールのところまで送ってくれた。

なぜだろう、今になって思えば本当になぜそう言ったのか分からない。
それは、前日に息子が夜泣きをしていてあまり眠れなかったせいで
ぼおっとしたままで行ったせいだったのか、
それとも思ったよりも彼女があまりにも淡々と用件を済ませているかんじで
つながりが見えず、ブレイクスルーが欲しかったからなのか、
とにかく、何も考えていなかった。

「電話のかんじでは、思いっきり白人なのかと思った~」

彼女は「あ、あぁ、よく言われるわ、電話では話し方のかんじが違うって」と軽く返事をした。

エレベーターのボタンを押す。

「そうなんだ、でも名前はアリシアだし、不思議だなぁって思ってたの。」

ミュージシャンのアリシア・キーが有名だが、黒人の間では割と人気のある女の子の名前だが
もちろん白人にもある名前だ。

少し彼女の表情が硬直したような気がした。

すぐに握手をさしだし、お会いできて良かったわ、という言葉に私はエレベーターに押し込まれ
彼女と別れた。

エレベーターが下るのをかんじながら、すぐに、まずかったかな、と思った。
寝不足のせいで体が重い。
ビルを出ると、外は雨が降り出していた。


家に戻り、夜のニュースを見ていると、ハーバード大名誉教授が間違えて逮捕されてしまった
事件がとりあげられていた。
アフリカン・アメリカンスタディーズで権威のゲイツ氏は、自宅の鍵を忘れて
裏庭の窓から家に入ろうとしていたところ、強盗と間違えられ逮捕されてしまったのだという。
著名人である彼が、そこは自宅だと主張したにも関わらず
有無を言わさずに手錠をかけられ、犯罪者として写真まで撮られるに至った経緯を
オバマ大統領までが「馬鹿げている」とコメントするまでになり、
警察を「バカ」呼ばわりした大統領のコメントに対して論争が起きている。
それはともかく、Racial Profileと呼ばれるこの手の「人種論争」は
「差別」と「非差別」の微妙なラインを行き来して、それはアメリカ人以外の人にとっては
あまりにも無意味な戦いのようにも見える。

この事件については、ゲイツ氏が黒人であったというところがポイントで
「『黒人』が立派な家の裏庭から室内に入り込もうとしている」という状況を見た際に
とったとっさの行動が、人種差別に基づくものだったと非難が集まっているのだ。
たとえば、それが白人であったなら、本人が自宅だと主張した場合、きちんと裏づけがされ
いくらなんでも突然手錠をかけたりするようなことにはならないだろう、というわけだ。

逮捕をした警官は白人だったわけだが、自分が人種差別をしていたと自覚があったのだろうか。
それは、彼の警官としてのキャリアや経験から導き出された「傾向」だったのかもしれないし
そのような「傾向」すら考えず、とっさに取った警官としてはプロフェッショナリティに欠ける
行動だったと考えるのは、やはり人種問題に甘すぎる考え方だろうか。

そんなニュースを見ながら、自覚的な差別と、無意識の行動が導いた人種的な行動が
差別としてとらえられる微妙なラインについて考えた。
深く考えなくても、今日私が昼間アリシアに言った言葉は、
人種的なもので正しいものでなかったことは簡単に理解できた。

夫に話すと、当然、叱られた。
「キミがしたことは、彼女の教育のバックグラウンドと、一生懸命に働いてきた経験そのものを
侮辱する行動だった。
そもそも、『白人らしい話し方』って何?オバマは『黒人らしく』話していると思う?」

確かに、そうなのだ。
オバマは「黒人らしく」話していないし、アリシアも違った。
それは、無意識の想像であり、予想であり、声や抑揚のつけ方、言葉の選び方から
勝手に私は彼女を白人だと思い込んだのだ。
おそらく、ゲイツ氏を逮捕した警官も。

「思い込み」は経験や知識、傾向の積み重ねから作られるわけだが、
それが「差別」になるのはどこからなのだろう。

夫は続けた。
「そもそも、彼女の名刺を見たとき、僕は彼女がアフリカン・アメリカンだと分かったけど。」
アリシア、という綴りを見て、彼は彼女が黒人だと「分かった」と言う。
けれど、その綴りの名前を持つ白人だっているだろう。
彼だって、人種的な思い込みをしているではないか。

そんな風に手当たりしだいに考えれば、この世の中は人種的な思い込みに溢れている。
バスの運転手は私に「謝謝」と言ってくるし、
この前餃子の作り方を中華スーパーで聞いてきた黒人のおばちゃんに
「私は日本人で日本風の餃子しか知らないけど」と言うと
「(そんな違い)どうでもいいわよ」と言われた。
アジア人の女性が持つ仕事と言えばネイルサロンかマッサージパーラーと思われるし
(NYにたくさんある)
そういえば留学時代は大学のパーティーで
「日本人の女はアメリカ人の男のデカイのが好きだよな」とまで言われたことがあった。
(酔っ払っていたにしてもあれはひどかった。)

でも、適当にやり過ごしてきた。
「謝謝」にはある日、「ありがとう」と切り返し、
餃子のおばちゃんには親切にレシピを教えて「餃子作りたのしんでねー」と言い去り
ネイルサロン云々は無視である。
私にとって、自分が立ち向かう人種的な思い込みや差別は
歴史がない分、むかついてもやり過ごせるものなのかもしれない。

しかし、歴史があり、そこに闘いがあった分、アメリカでの特に白人と黒人の間における
人種的な軋轢はいまだプレッシャーが抜けない。
やり過ごせない、のだ。

結局、アリシアの件は翌日になり人事部のマネージャーから連絡が来てしまった。
今後自分のポジションがクライアントと接することを考えると
もっとセンシティブになる必要があるとのことだ。
当然のことだ。

しかし、アフリカン・アメリカンと結婚までして、
人種として彼らが歩んだ歴史や、いまだ残る社会的な人種問題には
通常よりも知識があり、距離が近いと思っていた分、とても落ち込んだ。

彼女に個人的に謝罪のメールを入れたいと申し入れたが、
人事部はこれは個人的なこととしてはすでに解決しているのでその必要はないとのこと。
ますます落ち込む。

アリシアの心の中に、私の心無い言葉がトゲとして残っちゃったと思う?と夫に聞くと
「Nah, she's been through so much more
and I think she just moved on.」とのこと。

嬉しかったのだ、これから働く会社で初めて「シスター」に会えて。
私の家族は、半分アフリカンアメリカンですよ、というボトムラインがあった。
私はあなたにとって、他の日本人よりもちょっと距離が近いはずですよ、
というメッセージを出したかった。
なのに、結果として、彼女に「また意味のないムカつきを経験しなきゃいけなかった」と
思わせるような言葉を投げかけてしまった。

夫は言う。
「彼女が良い人でよかったよ。他の人ならもっと正面切って啖呵を切られたかもしれない。」
人事部のマネージャーは言う。
「彼女だからまだ良かったけれど、クライアントだったなら問題になっていたかもしれないから。」

はい、はい、と落ち込んだ声で答えながら、恥ずかしい気持ちでいっぱいだ。

ごめんね、アリシア、傷つける気持ちは全然なかったのです。

Hope it doesn't stay in your heart.
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by akikogood | 2009-07-26 12:08 | アメリカ、エスニシティー

パンケーキが焼けるまで

自慢じゃないが、結婚する前に料理はほぼ皆無に等しくしたことがなかった。
えっへん。

こちらに来て主婦生活をスタートした後も、
お肉やお魚はオーブンにつっこむだけ、
パスタはゆでてトマトソースとあえるだけ、
たまにするベイキングといえば、小麦粉もお砂糖もぜーんぶもう入っていて
卵を入れてオーブンにこれまたつっこむだけ、
という濃厚にアメリカンなキッチンライフを謳歌してしていた。

なので、初めて日本人のコミュニティを見つけて
趣向を凝らしたまともな食生活を維持している家庭を発見したとき
相当なショックに襲われた。
今考えてみれば、ショックに襲われたのは私だけではなく、
ごぼうの剥き方を知らない日本人の主婦に出会った彼女たちのほうだっただろう。

ともかく、そこをきっかけに、ようやく我が家にも米酢、みりん、料理酒が揃い、
それなりにまともな食事が我が家の食卓にも並ぶようになった。
やってみりゃ面白いもんで、カレーだってカレー粉とスパイスを入れてナンも焼けるし
あんみつが食べたいと思えば白玉粉から白玉も作れるし
あんこがなけりゃお豆を炊いてみれば良いわけで、
お店で並んでいるものを買ったり、レストランでオーダーをすることからしか
食べるものを得られないような気がしていた独身時代からは大きな発想転換があった。
そもそも、パンを作ってみるとかそういう発想がなかったもんね、
私ならパン作るより、パンツ食う可能性のほうが高いんじゃないのってなもんである。

ところが、いまだできない一品がある。
それは、パンケーキ。
つまるところ、ホットケーキである。
あの、ホットプレートの上で焼く、あれだ。

どうしても、できん。

パンケーキ天国のアメリカには色んなブランドのパンケーキミックスがあって
好きなものをスーパーから買ってきて、お水を入れて、フライパンで焼く。

これが、できない。

先日、友人から可愛らしいお花の型のパンケーキ用焼き器を頂いたので
日曜日の朝にトライした。
私が材料を混ぜているそばから(といっても分量どおりのミックスに水を足すだけだ)
息子を抱いた夫が
「おっ!マミーがパンケーキを焼くらしいぞぉ~くわばらくわばら」みたいなことを
言ってくるのでムカつく。

だって、なんかこの弱火でもない、中火でもない、微妙~な火加減で
これまた微妙~な時間プツプツ焼いて、良さそうな頃に裏っかえして、
またおんなじことするっていうのが、なんか許せない、時間の無駄なような気がする。
ずーっと弱火でコトコト煮るとか、強火でガーっとやるとかは分かる。
料理してますってかんじだし、こう、目の前で展開がある。
しかし、なんなのだ、この、表面に微妙~なプツプツができるまでは我慢強く見守り
頃合を見計らって裏を見てみたりして、ひっくり返すというこの一連のムダのカタマリのような作業は。

そんなわけで、可愛いお花型(大判焼きの鉄板が花型になってるようなかんじ)の上に
タラーリタラーリと憎きパンケーキミックスの素を流し込み、待つこと15分。
途中、ちゃちゃを入れてくる夫とムダ話をしたりして、案外簡単に時間が過ぎた。

裏返してみると、おやまぁ綺麗なキツネ色!

やってみればできるじゃないか。
ていうか、何もしないでいたら、できた。

チョコレートチップも入れたので、黄金に輝くお花型のチョコレートパンケーキが出来上がり
我が家の日曜の食卓は奇跡の光に包まれた。
夫からも「僕はキミのことを誇りに思うよ」と大絶賛をもらう。
being proud ofの構文を習った遥か昔14歳の頃、
まさか将来の夫にホットケーキをうまく焼けた結果によって使われる文法だったとは
想像もしなかったろう。


ともかく、パンケーキ調理の成功から得た教訓とは
「時に放置は最善の策である。」

放置ができない人生は辛いものがある。
そういや、押したり引いたり、突っついたりしてるうちに崩れたのは
パンケーキだけではなかった。

恋愛だって駆け引きだというじゃないか。
ビートルズだってLet it beと繰り返していたじゃないか。

それが出来ず今日も連絡のない恋人なんかを想って
電話やメールの向こうにどれだけの人が意味のない涙を流していることか。
それが出来ずこれまでどれだけ焼ききらないパンケーキを
フォークでつついたり、裏返そうと意味のない行為を繰り返したことか。

そもそも、うまく待つことができない性格は損だ。
何事も、うまい具合の焼き加減があって、ちょうど良いときを見計らってひっくり返せば
特に何もしなくても黄金色のキツネ色に仕上がることが多々あるはずなのに。

突っつかず、後ろをめくってみようとしたりせず、
ちょっと他のことでもして、うまく時間が過ぎれば
そう、一丁あがりなのだ。

黄金のパンケーキは、待てる人にこそ焼きあがる、ということだった。

さて、味もしめたことだし、来週はどんなパンケーキを焼こうかな。
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by akikogood | 2009-07-21 12:04 | 花鳥風月

ウォールストリートの戦士たち

そんなわけで、ワーキングマザーとして就活を始めたわけだが、
結局金融業界に留まることにした。
景気も悪いし、子どもを預けて働くとなるとそれなりの収入がなければいけないわけで
せっかく1年も無職(無色)期間があり、自分が真っ白になった状態で本当にやりたいことを
突き詰めてみる良い機会だったけれど、もう独り身でもないからしょうがない。
金融も幅広くあるから、きっとやってみたら楽しいポジションが見つかるに違いない!
と前向きに行くことにした。

というわけで、今日ようやく、ウォールストリートをスーツを着て歩いた。
これまでにもイチ観光客として、ただの通りすがりの人として、タラタラした私服で
何度も訪れたことのあるウォールストリートだが、
スーツを着て歩くとなんと見える景色の違うことか。
シャツとスーツは、いわゆる戦闘服で、それらに身を包むと、
RPGみたいに突然周囲にわんさと敵が出現する・・・ような気分になった。

いやもう、そこらじゅう肉食系の兵士だらけ。
オレ獣追ってるぜぃっちゅーオーラをむんむん出して、
自分は強いですっちゅーセックスアピールを高そうなカフスリングやピカピカの靴に込めまくり
その格好に、なぜかアルマーニかグッチのサングラスしてる金融兵士が
そこらじゅうを闊歩していて
いやぁ~~~~狩場だね、あそこは。
夫が「アメリカのキャリアウーマンたちは、男性になってしまっている」
と言っていた意味もようやくわかる。
現実に、目の前を男性のスーツを着て、男性の靴を履いて歩いている女性がいた。
レズビアンなのか、戦闘服アップグレードバージョンか。

本当にここはレイオフの嵐が吹き荒れている、アメリカの金融市場なのかと目を疑う光景だった。
ほんの5ブロックくらいの間に、ストリート沿いには
ティファニー、TUMI、会員制スパ、BMWの店が並ぶ。
今でこそ少ないかもしれないけれど、きっと景気が良かった頃は仕事帰りに
「あっ、そうだ今日はあの車でも買おっかな、自分へのご褒美w」
なんてノリでお買い物を楽しんだ人がそれなりにいたのか。

お昼少し前に入ったカフェは、マーケットの合間に
ランチをピックアップしにくる金融人たちで大混雑だった。
あたしゃ、アメリカ生活の中であんなに白人だけに囲まれた経験はないねっちゅーほど、白人が
マジョリティーで、しかも美しい白人ばかりで、そんな中エセウォールストリート東洋人の私は
サンドウィッチを頼むだけで緊張してしまった。

認めます。

実際、皆さん、相当、
カッコイイ。

あ~あんなピカピカな人々はニュージャージーではまず見ないし
(だってまず平均体重+20キロ)
っていうか、NYの他の区域でもあんな集団で見ないし。

GSのIDタグをつけて、談笑しあいながらランチを取っている
上品な顔立ちの白人の若い男女3名。
もうそこには、そこで完璧に成立している世界観がある。
そんな完璧な世界観を眺める私のまなざしは、戦後の日本が米軍を通して夢見た
アメリカへのまなざし並だ。
お~この人たちからサンドウィッチは生まれたのか。。。
彼らが持っていると同じサンドウィッチでも上品に見える。。。
やっぱ日本人は米と茶碗が似合うよね。。。
お~ギブミーチョコレート、ギブミーガム。
日本や海外なぞ彼らにとっては知識やバケーションの行き先であっても、
生活の一部になることは決してないだろう。
このウォールストリートの前線で働いていて、何一つ乱れの無い存在感がある。
同じ金融で働こうとも、彼らと同じような世界観の中で私が働くことはまずないだろう・・・

などなど思いをめぐらせていると、超ガイジンな気分になり、孤独が募るが
彼らには彼らが直面しなければならないシビアな現実があるはずだ。
その上品な笑顔の下にも、
レイオフされ夜に泣いた涙が隠れているのかいボーイズアンドガールズ。

そんな想像をめぐらせていると、面接の時間が迫ってきたので
ニューヨーク風に持参した袋からガサガサとヒールの革靴を取り出して履く。

オフィスのビルを見つけて、受付でサインインしていると、お昼を食べ終わったらしい
人たちが戻ってくる。
あれ、高尾山から降りてきたのかしらという出で立ちのおばちゃんを発見。
らくだの股引みたいな色のズボンと、茶色いTシャツ?とスニーカー・・・
もしや日本から遊びに来ている親戚のおばちゃんをオフィスに招待したのか?

とか思ってたら、その人バリバリのフロント(しかもIvy league MBAホルダー)で面接官だった・・・


あぁニューヨーク・・・・
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by akikogood | 2009-07-08 10:09 | ニューヨーク

マイケルの額縁

いきなり、マイケルジャクソンが死んじゃったかと思ったら
NYはオバマが大統領候補になったときと同じように
突然街中にマイケルの顔がデデーンとプリントされたTシャツを着た人にあふれ
9・11直後にツインタワーから飛び降りる人の写真が売られるのをみて
私が大ショックを受けたアメリカの至上資本主義は、
なんだかんだ超健在じゃんっていうかんじである。

マイケル~ マイケル~
マイケルといえば~~~~

皆さんどんな思い出がありますか?

私の初マイケル体験は、忘れもしない小学校3年生、
インドネシアから日本に帰ってきた最初の年、
日本の小学校での運動会での3年生全体の踊りがなんと「Bad」だった・・・
とりあえず私の脳みそには、あの「Bad」のイントロとともに、
振り付け担当だったキタカゼ先生の怒鳴り声と
「そこでクルクル」「タララでターン!」などの声が鮮明にインプットされる。
当時インドネシアにマイケルがどのくらい影響を及ぼしていたのかは定かではない。
インドネシアで大ブームだったのは、何人だか分からんマイケルよりも日本の「おしん」だった。
そんな世界のポップカルチャーからも思いっきり発展途上国からの帰国子女に
マイケルは意味不明以外のなんでもなく、ただただ運動会の曲だったが、
ロンドン帰りのユカちゃんのお宅にはちゃんとマイケルの
ベストアルバムがあったので、一緒にお家で運動会に向けて練習した覚えがある。

マイケルとの再びの出会いは中学2年生となる。
インドネシアに二度目の駐在として舞い戻ったばかりの頃だが、転入して早々に
「日イ友好キャンプ」なるものが実施された。
夜にキャンプファイヤーを囲んでインドネシア、日本両方の生徒たちが手を取り合い
友情を語り合う美しい場面が展開されるはずで、そのバックグラウンドがマイケルの
「We Are The World」だった。
まぁ実際はインドネシアも日本も中学生なんちゅーもんは
何組の〇〇くんはどの子の隣なんだろうとか
△△ちゃんが夕方告白するらしいとか、そんなことに夢中で、交流も何もないんだが
それでもやっぱり、制服と部活しかなかった日本のモノカラー中学校から、
自由なジャカルタの日本人学校に転入したばかりだった私は、新しい友達に囲まれて
英語の歌を歌って、
これから新しく始まる生活に恐ろしいくらい幸せな予感を抱いて、興奮していた。

私のマイケルの額縁は、こんなかんじだ。

私の夫のマイケル額縁はこうだ。
MBAの締めくくりとして、プログラムの一環で日本の企業に1年間のインターンをしていた頃
新宿の近くに住んでいた彼は、毎晩窓のところでHuman Natureを聞いていた。
If this town was just an apple, then let me take a biteという例の詩は
案外ニューヨークじゃなくて新宿でも似合う。
意味不明な日本企業の決まりや厳しい規律にヒーヒーいいながら、
お店に来るじーちゃんばーちゃんに可愛がられ、
「あのお店のガイジンさんの店員」になっていたうちの夫は毎晩マイケルを聞いて
アメリカを恋しがっていたに違いない。かわいい。

こうして、毎晩音楽チャンネルでマイケルのビデオクリップが
エンドレスに流れ続けるアメリカのリビングルームでは
どれだけの人たちが自分の「マイケル額縁」をアルバムを開くように語り合っていることだろう。

特に洋楽を聴かない人でも、いつの間にか額縁が出来上がっているほどのマイケルのインパクト。

彼のその強く弾むような音楽は、本当に大陸や時空を超えて
人種も年齢も国籍も関係なく、たくさんの人にスペシャルな額縁を残した。

彼が目指したものは、きっと色や国境に囚われない、本当に自由なものに違いない。
それは、哀しいかな彼が亡くなってようやく本当に自由になったような気がする。
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by akikogood | 2009-07-03 13:48 | ニューヨーク