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アーミッシュ村へのマインドトラベル

大分前になるが、9月の1週目、レイバーデーの3連休にお隣のペンシルベニア州にある「アーミッシュ地区」こと、ランカスターカウンティまで足を伸ばした。足を伸ばすといっても、うちから車で2時間半足らずで着いてしまって、逆を言えば、世界中の富が集まるマンハッタンからだって3時間ちょいあれば、電気なし、PCなし、電話なし、馬車で暮らす人たちの土地に来られるという事実がアメリカという国の「広さ」を物語っているように思う。

着いてはみたものの、ホテルはランカスターのダウンタウンだったので、さてアーミッシュのコミュニティに行くといっても、どうやって行けるかと思いきやホテルのフロントデスクのお姉さんは「大丈夫ですよ」と朗らかに言う。「行ってみれば、すぐにわかるわ。」

その言葉の意味が分かるまでそう時間はかからなかった。アーミッシュの人々が観光客向けに商いをする小さな店が連なる国道は、土曜の午後とあってかギッシリの大渋滞。えっ、馬車と電気なしの質素で静かな田舎風景はどこに・・・と絶句するほど観光化されていてガッカリ。土産物屋に入ってみても、日本のちょっとダサい地方観光地みたいな雰囲気でアーミッシュでない普通の人たちが不味い料理を給仕して、デブデブな観光客が、またその不味い料理をガツガツ食べている様子を目の当たりにして食欲も失せた。

そんなわけで、観光客の車が大量に駐車されている場所を避けるように運転して、適当に脇道に入ってさらに運転してみると、なんと、一面に広がるトウモロコシ畑。
先ほどまでの喧騒が嘘のよう。対向車とすれ違えるかドキドキするくらいの細い道を、注意深く走っていると、あっ!前方に、馬車が!

そうして、初めて車道に走る馬車(バギー)を見たときは感動したが、ランカスターでの滞在時間が長くなるにしたがって、馬車を前に徐行運転しながらゆっくりそれを追い抜いたり、馬のくさい落し物がタイヤにどのくらい挟まってるだろうか、と気にし始めたりして、フロントガラスに馬車が映る光景には案外早く馴染んだ。

バギーには集落ごとに様々なタイプや色のものがあり、屋根のついたバギーを運転できるのは成人してからで、子どもたちだけの場合はただの箱のような馬車だとか、州法で馬車にもウィンカーを付けることが義務付けられているため、自家発電式のLED電子ウィンカーを付けていること(実際、信号待ちで前にバギーがいる場合、ウィンカーがついていないと非常に危険だと思った)などは、後から本を読んで知った。

観光化が最も進んでいる国道30号周辺を除くと、イチ観光客としてはランカスターへの旅はたった1泊だったとは思えないほどのマインドトリップになった。

ジャカルタも、NYも、東京も、ものすごい距離を移動している割には、そこで表面的に共有されている生活様式や価値観はだいたい同じで、特に大都市ではどの国に行っても同じ店があるし、もっとお金を稼いでもっと先進的な生活をしたいとみんな頑張ってるのも一緒だ。どの国でも、政府が自分たちの生活を充分に守ってくれないと怒っている人たちがいて、一方で、信じれないくらいの大金持ちがいたり。
アーミッシュは、そういう、私たちの生活を蜘蛛の巣状に取り巻いている当たり前のモノや価値観、政府のシステムからかなり独立して自分たちで出来る限り自給自足の生活を達成していて、その一方で、実際そんな自分たちのコミュニティの外には良くも悪くもたくさんのアクセスがあることもよく熟知した上で、うまく取り入れているように見えた。

LEDのウィンカーにしてもそうだし、実際彼らは自分たちで運転はしないものの、運転できる人を雇うことは認められており、長距離を移動する際やビジネス上ではトラック運送業者をよく雇う。電話は家の中にはないが、屋外についている家がほとんどだし、カメラは自己崇拝に通ずるので禁じられているものの、発電式の「コンピューター」(ワードやエクセルなど基本的なソフトウェアの使用のみが可能で、インターネットへのアクセスはできない)の使用はビジネス上かなり許容されているらしい。そうやって、自分たちなりに信仰を妨げない技術についてはフレキシブルに取り入れながら、一本線を貫いて暮らしている姿に少し羨望というか、そんな不思議な気持ちを抱いた。

だって、家族が平和に安心して暮らせて、子どもたちを犯罪のない、少人数制の環境の整った学校に通わせる。
たったこれだけのことを実現するために、どれだけの人が、どれだけ一生懸命、でっかいシステムのひとコマになってようが何だろうが、働いていることか。
それを、当たり前のことのように、いや、そんな一部にはなりませんから、と自分たちだけで達成している彼らを、うらやましいと思った。
いいなぁ、来月から、キミの部署はインドにアウトソーシングすることになったから、とピンクスリップを渡されることもなければ、次々とアップデートされるソフトウェアに一生懸命慣れて自分も常にアップデートさせていかないといけないプレッシャーもない。どうやったらこれからのグローバル化されてく競争市場で生き延びていけるか戦々恐々としなくていい。子どもの年齢が上がってきたら、学校地区も考えて、郵便番号5桁をグーグルして他の地域へのお引越とかも考えなくていい。
ラティーノコミュニティや、貧困地区には銀行営業マンがやってきて、15%の利子でモルゲージを組む契約を次々作ったらサブプライムでみんな家を失っちゃったけど、アーミッシュの人々は2007年も、リーマン危機も大して意味はなかっただろう。実際、私たちがとっくの昔に失ってしまったコミュニティ間での相互扶助というお金では買えないセーフティネットや財産がたくさんあるのだ、彼らには。

もちろん、たくさんの課題やコミュニティ内外での葛藤は常にあるに違いない。
な~んも知らずにちょろっと考えただけでも、馬車と自動車の交通事故が多いことは容易に想像がつく。
聖書の教えに従った独自の規則から、アーミッシュの人々は社会保障も受け取らないし、一般的な健康保険にも加入しない。医療費がバカ高いアメリカなので、病気や怪我をした場合や交通事故があった場合、どんな備えをしているのか気になる。信仰への疑問がうまれないよう、子どもへの教育は小学校3年生程度までで充分というアーミッシュの考えは、実は国際社会から見れば子供の人権侵害で、実際アメリカ合衆国からは訴訟をされている。アメリカに残った最後の平安の場所と言われたアーミッシュ村にも、2006年にはコミュニティ外からやってきた男が学校に立てこもり子どもたちを殺害した。

けれども、もっと限界集落みたいなところで、偏屈そうなかんじで、井戸の中の蛙状態で暮らしているのかと思って、ちょっと物見見物、というノリで遊びに行って見たら、意外や意外、私たちよりも精神的にも物質的にもずっと豊かに暮らしているような穏やかで優しい彼らの横顔を見て、イメージがすっかりひっくり返ってしまった。
カッコいいな、彼ら。

金色に輝く畑のトウモロコシは、実がこぼれそうにたわわになっていて、今年は豊作だったことを窺わせた。




~参考~

興味湧いたからアマゾンで買った本 Amish Grace: How Forgiveness Transcended Tragedy
日本語訳も。
アーミッシュの赦し―なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか

このエントリ書いてる間に偶然出てきたブログ Amish arbitrage 彼ら土地運用もうまいらしい・・・やるな・・・読者のコメントや素朴な質問がなかなか面白い 
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by akikogood | 2010-09-30 11:51 | アメリカ、エスニシティー

Tomorrow shines through, but I’m missing yesterday

ずっと忘れていた曲をふとしたことで思い出してyoutubeから引っ張りだして聞いたら、その曲を聴いてたころの情景や、その頃自分が大事にしていたもっとナイーブで繊細なことをたくさん思い出した。

結婚して、子どもが産まれて、仕事して、毎日現実と向き合ってるけど、たまにこうやって思い出す自分勝手に生きてた頃に大事にしてたものも、今振り返ってもやっぱりすごい良いものたちだな。

人生は変わっていくものだけど、途切れ途切れじゃなくて、エクスパンド、拡張してくものなんだな、当たり前だけど。自分の場合、結婚して、アメリカに来たから分断されてたものがたくさんあるけど、今こうやってちょっとずつ戻ってきて、もう一度自分の一部になると、バラバラだったパズルがぴったり合うような、過去と今と未来がつながって自分が完成してゆくような不思議な感覚。多分、こういう風に最近思えるようになってきたのは、ようやく自分のここでの生活も確立してきて、過去とも向き合いながら、ここでの未来を落ち着いて見据えられるようになってきたからなのかも。

奇遇にも、その久しぶりに聞いた曲の名前はYesterday Went Too Soon
思い出させてくれたのは大学時代からの友達のつぶやきでした。
サンクス。
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by akikogood | 2010-09-18 20:17 | 花鳥風月