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スクールバスを降りると、そこはアメリカだった

アメリカでアメリカの会社で働くということ。

シンプルながら、これをして初めて、自分はアメリカの内部にようやく入れたなという気がする。

いくらローカル採用を促進していてNYCのど真ん中にオフィスがあろうと、日系企業は日系企業。
あるいは、いくら横文字な名前であろうと、日本にある外資は日本化された外国企業。

ダーっと車が並ぶ駐車場に車を停めて、鍵をキュンキュンっとしめて
オフィスの正面玄関に向かう。

方々から、色んな格好をした色んな人が、同じように車から出てきてIDをぶら下げながら
エントランスに向かう。

・・・このかんじ、知っている。

これは、まさに、ジャカルタのインターナショナルスクールに初登校するときに
ぞくぞく感じたあの感覚、
そう、
「アメリカっぽいかんじ」
である!!

アメリカに住んでいて、アメリカの企業に勤めるんだから、それがアメリカっぽくなくて何かってかんじだが
初めて「アメリカっぽさ」を肌で感じたときの感覚はしばらく忘れていた。

「会社」のイメージは、長いこと、「高いビル」だったけれど、
ここにきて、突然2階建てになっちゃったし、
新卒の頃働いた会社は、部長から課長補佐まで飲み会の席が決まっていたのに
今の部のヘッドにはHey Bill!とチャットで話しかけちゃうし、

そういうのって、
「給食当番」→「カフェテリア」
「起立・礼」→「ヘーイ!ガイズ!」
「買い食い禁止」→「先生は授業中にコーヒーを飲む」
「制服スカート丈はひざ下10センチ」→「チューブトップはドレスコード違反」
とか、そんなレベルの、中学生だった私が初めてアメリカンスクールに足を突っ込んだ
あの感覚を思い出させるのだ。

社会人になって思うのは、やっぱり会社というのは
その国の教育のカタチを労働=国を動かす力に変えてゆく場所なんだなーということ。

私は普通の日本の公立中学に少しだけ通ったが、制服、先輩後輩関係、誰かが吐くようなレベルまでやるような部活や学校全体に漂う抑制の感じが異様に苦痛だった。
そこから、インドネシアの日本人学校に転出して、大分救われたけれど、あんなに開かれた雰囲気の学校は転入生・転校生が常にいる海外の学校ならではのことで、日本にある大抵の公立学校は、同じような価値観で学校が動いていると思う。一斉に並んで校庭で全体朝礼とか、運動会の入退場は必ず行進とか、前習えとか、今やれと言われたら、かなり違和感を感じるけれど、子どもの頃はそれが全てでそれが普通だと思っていたから、そうしていた。

でも、日本で新卒として日本の企業に勤めるということは、まず白いシャツと黒いスーツを着るということ、髪の毛は男子はもみ上げが伸びすぎない程度に切りそろえ、女子は目が隠れない程度に黒いゴムで留めるのが好ましいということだった。部活で養うべき先輩後輩関係や、体育会系ノリは、ものすごーく必要な処世術だし、同じ時間割で一斉に皆で同じことをする勉強の仕方や運動会の行進は、周りの空気を読みながら仕事を進めたり、そこに所属しているという強い感覚が全ての日本企業的価値観にぴったり当てはまる。

ま、新卒じゃなくなれば、そいういう外見がどーたらとか、体育会系がどーたらとかは大して誰も気に留めなくなるんだが、そういうカタチが少なかれ求められるのは日系企業で働く限り本当だと実感した。

だから、それが全てではないと知るきっかけになったジャカルタのアメリカンスクールに進学した16歳は、やっぱり自分に大きな転換期だったのだと今分かる。

日本の学校は、大抵コンクリの4階建てとかで、四角くて、上の階は高学年とかが通例だったけれど、アメリカンスクールは二階建てで、しかも廊下もまっすぐとかではなく、色んなところに蜘蛛の巣のようにつながっていた。休み時間や授業の選択も自分でしなければならず、友達はお昼休みの時間がばらばらだった。
日本の学校の朝礼の代わりになるものは特になく、代わりにダンスやプロム、優秀な学生を表彰するアワードイブニングやコンサートがあって、そういうときのためにドレスや靴が必要だった。

そういうのって、多種多様な人が一緒に働くアメリカ企業に必要な要素だったのだなと今分かる。オープン性とか、それぞれのライフプランに合わせて働ける代わりに、仕事はかなりキッチリするところとか、個人が遠慮なく集団の前に出て何かをズバズバ言うことが求められたりとか。

普通の日本の中学生だった私が突然入り込んだアメリカンスクールの高校生活は、なんだか大人で、色気があって、とてもではないが、自分のものにはできなかった。
英語が母国語の金髪の女の子たちが、ガタイのいい男の子たちと何やら楽しそうに笑いあったり、体を寄せ合ったりしているのを眺めて、別世界だなと思っていた。日本人の気があった数少ない友達と、いつも日本語で話して、あいつらスポーツができるだけなのになんで学校のヒーロー気取りなわけ?とルーザー丸出しの会話をしてなんとかしのいだ高校生活だった。それはそれで、仕方がなかったけれど、本当は、自由がそこにあるのに、自由を取り込めない自分たちのふがいなさにものすごいコンプレックスを感じていた。

だから、ここへきて、アメリカで、アメリカの企業に勤めて、アメリカの価値観が心地よいなと思うと、ようやくあの頃の自分を越えられたような気がするのだ。なんだかんだ、あの頃どうしても取り込めなかった「アメリカらしさ」の中で、普通に泳げていることが、変に嬉しい。
ESLだった自分が、あの頃「メイン・ストリーム」と呼ばれていた英語を普通に話すあの女の子や男の子たちと、結局は同じ会社で、こうして同じものに対して働きかけてるんだなと思うと、あの頃コンプレックスに溺れていた自分を励ましてやりたくなる。あの子らとあんた、何も変わらないから、もっと自信もって日本語でもいいから、できることやりなよ、と言いたくなる。


ま、とりあえず、価値観はいいとして、パフォーマンスもあげなきゃ、アメリカ的にすぐにクビになる・・・一生懸命働かにゃ。。。
by akikogood | 2010-06-23 10:34 | アメリカ、エスニシティー
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